ホームページで内容を見ると、江戸の町で疱瘡が流行し、伊織は人痘法を試してみたいと進言したが、保守的な奥医師たちが猛反対。
www.cal-net.co.jp/oooka/oooka_15.html

ラストシーンを見ると奥医師たちが白州で裁かれていた。
忠相、伊織、新三郎と同心たちが料亭にいるところに吉宗が忍びで来訪。
「家重が治癒した」と言っていたので、家重も病気だったのだろう。

ナレーションではジェンナー(1749~1823)の種痘が日本に導入されたのはそれから約60年後らしい。
ジェンナーが生まれたのは1749年だから吉宗(1684~1751)の晩年で家重の時代。
種痘の發明は1796年だが、このときは吉宗の孫・松平定信(1758/陽暦1759~1829)の寛政の改革が1793年に終わって3年が経過していた。
種痘について調べると、寛政の改革の最中、1790年に秋月藩の藩医だった緒方春朔が種痘を行っているが、ジェンナーとは別の方法だった。これは大岡忠相が町奉行だった時代からおよそ60年後に相当する。

TBS夕方4時台の再放送は次の日から『ハンチョウ』になる。

ジェンナーと同時代の人物を調べると、前野良沢(~良澤、1723~1803)はジェンナーより26歳年上(満年齢で比較、以下同じ)、平賀源内(1728~1779/陽暦1780)はジェンナーより21歳年上、エカテリーナII(1729~1796)はジェンナーより20歳年上、杉田玄白(1733~1817)はジェンナーより16歳年上、大黒屋光太夫(1751~1828)はジェンナーより2歳年下、マリー・アントワネット(1755~1792)はジェンナーより6歳年下、松平定信はジェンナーより10歳年下になる。