『ド・ラ・カルト』77~78ページに記載されている。
まず、連載1年目の1971年『小学四年生』3月号、タイムマシンの影響で野比家に未来からの来訪者が多くなり、のび太がドラえもんに文句を言う。

ドラえもんは「こんご、いっさいの時間旅行をきん止する法りつができたんだ」と説明して未来に帰り、のび太はドラえもんが帰ったあとの机のひきだしを見つめているというもの。

さらに1年たった1972年の『小学四年生』3月号、ドラえもんは「のび太くんにぼくにたよるくせがついちゃったろ」と言って、セワシがドラえもんを未来に帰すことに。
のび太は自轉車に乗れるようになり、ドラえもんとセワシが未来の世界からタイムテレビで応援。
これは1973年のアニメ日テレ版の最終回に採用された。

1974年春、藤子・F・不二雄と小学館は『ドラえもん』を終わらせ、別の作品に移る予定で、『ドラえもん』でも1974年『小三』3月号に「さようならドラえもん」が掲載され、作者は何を考えても『ドラえもん』に行きついてしまい、結局、継続させることにしたらしい。

1974年3月で小学3年生の人は4月から4年生になる。
1974年『小四』4月号で「帰ってきたドラえもん」が掲載され、『ドラえもん』は復活した。

この時期、一部学年別学習雑誌で、4月号から『バケルくん』が、5月号から『みきおとミキオ』が始まり、『こどもの光』で『キテレツ大百科』が連載されるようになった。
これらの作品は、もし、『ドラえもん』が復活しなかったら、『ドラえもん』の後継作品となっていたわけだが、内容から考えて確かに『ドラえもん』と類似しており、当時の藤子・F氏にとって『ドラえもん』が頭から離れない存在だったことがわかる。

「さようならドラえもん」はてんコミ第6巻、「帰ってきたドラえもん」はてんコミ第7巻に収録されている。

『ドラえもん』を読んでいてついてまわる疑問に「ドラえもんは歴史を変えていいのか」と「ドラえもんはのび太の教育に適切か」があるが、3種類の最終回はこの2つの疑問、矛盾点にかかわっている。
ドラえもんがのび太と同居を始めたのは1970年正月。1970年4月でのび太が小4だったとすると73年3月で小学校を卒業する。1970年正月でのび太が小1だったとして1969年4月入学、すると1975年3月には小学校卒業である。
ドラえもんがのび太の世話をすると言ってもたかだが数年のことであり、ドラえもんが歴史を変える、あるいはのび太がドラえもんに依存するとしても短い間のことである。

ドラえもんが数年で終わっていればその危惧はなかった。ところがドラえもんは原作が始まって40年。「初代」のび太は2010年で50歳くらいである。
『ドラえもん』の歴史改変については「予定調和」や「過去の改変」に関することで書いたが、のび太のためにどうかという問題に関しては、ドラえもんがいつものび太に「秘密道具に頼らず自分で頑張れ」と言っていること、さらに道具に頼ったのび太が失敗することでバランスが取れている。