┌必殺シリーズが描く江戸時代後期の裏稼業の歴史【弐掛け・天保前期】
↓
1841(天保12年)年末に鳥居耀蔵が南町奉行になった。もっともすぐに年が明けて1842年(天保13年)に移っており、しかも陽暦では鳥居の就任の時点で1842年の初めである。
『必殺仕置屋稼業』では主水が北町から南町に異動になったときが、この鳥居甲斐守就任のときであった。
一方、『仕事人vsオール江戸警察』では主水が南町に長年つとめ、矢部駿河守の配下としても仕事をしたあと、鳥居耀蔵が就任したことになっている。
↓
1841(天保12年)年末に鳥居耀蔵が南町奉行になった。もっともすぐに年が明けて1842年(天保13年)に移っており、しかも陽暦では鳥居の就任の時点で1842年の初めである。
『必殺仕置屋稼業』では主水が北町から南町に異動になったときが、この鳥居甲斐守就任のときであった。
一方、『仕事人vsオール江戸警察』では主水が南町に長年つとめ、矢部駿河守の配下としても仕事をしたあと、鳥居耀蔵が就任したことになっている。
『オール江戸警察』によると、主水の仲間は太棹の新之介(または新之助?)、藝者・駒吉、鶴、加代、剃刀の辰であった。
のちに駒吉と辰は獄死し、平田深喜(ひらたみき)が助っ人に加わることになる。
のちに駒吉と辰は獄死し、平田深喜(ひらたみき)が助っ人に加わることになる。
1842年、アヘン戦争終結。このときの主水の仲間は『仕事人IV』のメンバーで、秀、勇次、おりく、加代、順之助であった。
清国から来た依頼人から仕事を受け、主水、秀、勇次たちは気球で香港に向かう。気球は平賀源内の作ということになっているが、源内は陰暦で1779年、陽暦で1780年に没しているので、同名の子孫がいたか、別人(例えば高野長英)が名乗っていた可能性がある。
清国から来た依頼人から仕事を受け、主水、秀、勇次たちは気球で香港に向かう。気球は平賀源内の作ということになっているが、源内は陰暦で1779年、陽暦で1780年に没しているので、同名の子孫がいたか、別人(例えば高野長英)が名乗っていた可能性がある。
1843年に玉屋から出火。『必殺渡し人』で描かれたのはこの時期のことであろうか。
1843年または1844年、秀と勇次が主水グループから離れ、花屋の政と組紐屋の竜が主水グループに参加(『仕事人意外伝』)。
一方、勇次は別のグループと組んで裏稼業をしていた(『必殺仕切人』)。やはり、平賀源内が登場したが、これも同名の子孫であろう。
1843年または1844年、秀と勇次が主水グループから離れ、花屋の政と組紐屋の竜が主水グループに参加(『仕事人意外伝』)。
一方、勇次は別のグループと組んで裏稼業をしていた(『必殺仕切人』)。やはり、平賀源内が登場したが、これも同名の子孫であろう。
1844年、高野長英が脱獄。安藤広重が第2のからくり人グループに仕事を依頼。長英が「蘭兵衛」と名乗って仕事に参加した(『新必殺からくり人』)。
この年、主水、新之介(または新之助)、鶴(加代がサポート)、平手造酒が鳥居耀蔵一派を暗殺(『オール江戸警察』)。
その後、平田深喜は大利根川原で主水と戦って敗れたらしい(『仕事人意外伝』)。
この年、主水、新之介(または新之助)、鶴(加代がサポート)、平手造酒が鳥居耀蔵一派を暗殺(『オール江戸警察』)。
その後、平田深喜は大利根川原で主水と戦って敗れたらしい(『仕事人意外伝』)。
1849年、第2のからくり人グループの仕事が終わった直後に葛飾北斎が没した(『からくり人・富嶽百景』)。
中村主水は北斎のむすめ・お栄からの依頼で背後を調べた(『必殺!主水死る』)。主水はかつて仲間だった権の四郎、そしてお千代と20年ぶりに再会。また、千代が育てていた捨蔵という男装の女藝人が徳川家定の双子の妹と判明した。
1851年に主水は水野忠邦を暗殺。そのあと、主水は四郎、千代とともに小屋で爆死したように見えた。その様子を秀、勇次が見届けた。捨蔵は千代の名を受け継ぐこととなる。
中村主水は北斎のむすめ・お栄からの依頼で背後を調べた(『必殺!主水死る』)。主水はかつて仲間だった権の四郎、そしてお千代と20年ぶりに再会。また、千代が育てていた捨蔵という男装の女藝人が徳川家定の双子の妹と判明した。
1851年に主水は水野忠邦を暗殺。そのあと、主水は四郎、千代とともに小屋で爆死したように見えた。その様子を秀、勇次が見届けた。捨蔵は千代の名を受け継ぐこととなる。
これで「天保の主水」は生涯を閉じたようである。
2年後の1853年、浦賀にペリーの黒船が来航し、それと前後して「幕末の中村主水」が活動を始めることになる。
2年後の1853年、浦賀にペリーの黒船が来航し、それと前後して「幕末の中村主水」が活動を始めることになる。
1849年の北斎の死は1828~1829年のシーボルト事件から約20年である。
「文政の主水」は假に1820年当時で40歳とすると、1850年で70歳。1820年で30歳の若さであったとしても、1850年で60歳、さらに1860年で存命だったとしても70歳である。
「天保の主水」は1840年で40歳とすれば、1850年で50歳になるわけだ。
└→必殺シリーズが描く江戸時代後期の裏稼業の歴史【仕掛け・幕末】
「文政の主水」は假に1820年当時で40歳とすると、1850年で70歳。1820年で30歳の若さであったとしても、1850年で60歳、さらに1860年で存命だったとしても70歳である。
「天保の主水」は1840年で40歳とすれば、1850年で50歳になるわけだ。
└→必殺シリーズが描く江戸時代後期の裏稼業の歴史【仕掛け・幕末】