ただ、町で名乗っていた「きんじ」が「金治」か「金次」か不明で、これはもう江戸の庶民のことばだから、漢字を考えるのも野暮なのだろう。
その代わり、中国でこの歴史劇を紹介する場合、漢字表記をどうするかが問題になる。おしん(1901~?)の「しん」が「信」か「辛」かで悩むのも漢字の国ならではの苦労である。
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漢字で書かない名前の場合
(中文版)阿辛(又名:阿信)
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〔漢字で書かない名前の場合・関連tw(2012~2013年)〕
テーマ:二 固有名詞問題〇
定番時代劇が特撮に似ていた理由はクライマックスで衣装が変わる他、主人公の多くが2つの名を使っている点もありましたね。徳川吉宗が徳田新之助、水戸光圀が光(右)衛門というように。 井坂十蔵はいつもほぼ同じでしたが伝法寺隼人は普段「音次郎」を名乗ってました
時代劇で武将が「信長様」「秀吉様」「家康様」と呼ばれるのは不自然だという意見がある。諱(いみな)で呼ばれることは少ない。「殿」「上様」「太閤様」とづべきだという意見。真田信繁(幸村)も劇中で「さえもんのすけ(左衛門佐?)」または「源二郎」と呼ばれた
これに対し、「官位名などだけだと歴史を知らない視聴者が誰の話か理解できない」という意見もあろう。ところが、昭和の時代劇では主人公が「本名」で呼ばれることは少なかった。
「水戸黄門」の水戸光圀は「ご隠居」「ご老体」と呼ばれ、旅では「光(右)衛門」を名乗った。「光圀」の名は印籠シーンで格さんが言うくらいだった。「暴れん坊将軍」の吉宗も徳田新之助を名乗っていたので、劇中ではもっぱら「上様」か「新さん」と呼ばれていた。
遠山左衛門尉景元は「遠山の金さん」では金四郎。「八百八町夢日記」の榊原主計頭忠之は夢之介だった。平成の時代劇でも「将軍家光忍び旅」の徳川家光は徳山竹之進を名乗った。時代劇でこういう例は珍しくなかった。
かつて時代劇の多くは変身ヒーローものの特撮に近かった。主人公が本当の身分や職業を隠して庶民の中に紛れており、場合によっては2つの名を使い分けているというパターン。
〔たかしな@RTakashinaさん〕
朝からずっと気になってる。「水戸黄門」諸国漫遊してる一般のおじいさん→水戸の元副将軍。「遠山の金さん」遊び人→お奉行様「暴れん坊将軍」貧乏旗本の三男坊・徳田進之介→上様。…じゃあ「長七郎江戸日記」は⁇
時代劇に登場した松平長七郎は徳川忠長の息子という設定でした。忠長は家光の弟です。劇中の時代が家光の治世だと将軍の甥、家綱の治世だと将軍のイトコになります。
「長七郎江戸日記」では、松平長七郎長頼(演:里見浩太朗)が「速水長三郎」を名乗っていた
「松平右近」は市井では町医者をやっていて、「浮世小路の藪太郎」を名乗っていた。
ノブ(これが太陽イズムだ!)@RmxFCfBbBrPEFZa
返信先:@mHchjORkeijI6cOさん,@taketora_0520さん徳山武之進
返信先:@RmxFCfBbBrPEFZaさん,@mHchjORkeijI6cOさん,@taketora_0520さん
徳川家光の幼名・竹千代からとった偽名であれば徳山竹之進でしょう。 徳川治貞が春田治之進になると、急にこしらえた仮名という感じが強くなります。
ノブ(これが太陽イズムだ!)@RmxFCfBbBrPEFZa
なるほど
そうですね
これは失礼いたしました
返信先:@RmxFCfBbBrPEFZaさん
一時期の時代劇では主人公が偽名・仮名を名乗っている場合が多かったので、その仮の名前の漢字表記はOPの役名表記では分からないことが多かったと思います。
徳川吉宗→徳田新之助
水戸光圀→光(右)衛門
伝法寺隼人→音次郎
榊原忠之→榊夢之介
松平長七郎→速水長三郎
松平右近→藪太郎
〔TWEET(1)〕〔TWEET(2)〕〔TWEET(3)〕
2008年9/22(Y!Blog)
参照
〔将軍家と奉行、隠密同心の実名と偽名(Wikipediaなど参考)〕
時代劇の「定番」の問題点(『遠山の金さん』について)
「変身ヒーロー型時代劇」の時代(「定番」についてさらに補足)
将軍家と奉行、隠密同心の実名と偽名(Wikipediaなど参考)
時代劇(2008年9月18日~9月末)