アニメでは1942年、一徹が巨人に入団したとき、春江が懐妊したときの子供が星明子であった。
したがって1942年の終わりか1943年初めに生まれた可能性が高い。
「終戦」直後、一徹が復員していたとき、明子はもう、少しは喋れた。

 

アニメで星飛雄馬は中学3年になったとき、明子は就職活動をし、内定が決まったが、飛雄馬の学校での飛雄馬への誤解によるとばっちりで明子の内定取り消し。明子はガソリンスタンドで働く(下注釋)。
これが1966年青雲高校入学前の1965年とすれば、1943年生まれの明子は22歳になる。

 

1968年、花形が飛雄馬の大リーグボール1号を打って満身創痍となって入院した際、明子は見舞いに行った模様。一徹はこれを許したようだが、同年12月24日に飛雄馬がクリスマスパーティを開いた際、明子は行かず、電報で缺席を傳えた。一徹が明子に行かせなかった可能性もあるが、明子自身が飛雄馬の行動に疑問を持っていた可能性がある。

 

飛雄馬がオズマと初めて対戦したとき、明子は飛雄馬とオズマが「野球人形」であると見抜き、しかも飛雄馬が負けることを予想した。理由は飛雄馬を鍛えた一徹のやきゅ知識がが日本の野球界に限られたものであるのに対し、オズマは野球の本場大リーグの球団が総力を挙げて鍛えたかららしい。

 

明子は飛雄馬が野球人形であることを嘆きながら、飛雄馬が人間らしさを求めようとすると、それに疑問を抱くような矛盾したところがある。
1969年、飛雄馬が日高美奈と付き合い始めたとき、飛雄馬は「俺もやるだけのことはやっている」とてがみに書いていたが、明子は「飛雄馬は人のやらないことまでやって今の地位を築いたのに」と疑問を持っていた。案の定、川上監督はこの年の宮崎キャンプで飛雄馬に二軍落ちを命じた。

 

再び話は前後するが、1969年正月、明子は飛雄馬がマンションに移ったとき、「飛雄馬のそばにいてあげる」と言って後を追ったが、花形との親しい関係から飛雄馬が野球の鬼になりきれないと判断すると、秋にマンションを出て行ってしまった。飛雄馬が試合後のインタビューで「姉ちゃん、戻ってきてくれ」と泣いて叫んでも明子は無視。
その明子は1970年以降、花形と結婚し、飛雄馬は左腕を壊して5年ほど失踪。飛雄馬は明子と再会したが、すぐに花形邸から出て行って、明子は理由がわからず泣いていた。
しかし、この失踪は明子が飛雄馬に対してやっていたことで、まことに明子は身勝手である。

 

星明子の「男たちの戦いを止めようとしながら、あおる」という矛盾性は『巨人の星』だけを観ていては理解しづらいが、『あしたのジョー』の白木葉子を観ると少しわかってくる。
白木葉子は力石の減量に協力し、力石が求めた冷たい水を与えなかったが、それで力石を失う結果になる。次に矢吹丈が多くのパンチを食らった結果、身体が危険であることから、葉子はジョーにホセ・メンドーサとの試合に出ないように何度も忠告するが、ジョーは無視。
葉子は試合直前、ジョーの控え室に押しかけるが、ジョーは「リングでは世界一の男が俺を待っている」と言ってリングに向かった。
そして、ゴングが鳴ると葉子は「矢吹君、立つのよ」と叫び、タオルを下に落として、試合を最後まで見守る意志を示した。
明子もこれと近い心境だったのだろう。

 

伴宙太に中日に移籍するよう最後に勧めたのも明子である。明子は男たちの戦いを嘆くようで、それをあおる傾向があった。
伴宙太は結局、一徹によってオズマの次の「兵器」として目をつけられ、一徹の息子・飛雄馬もマンション(アニメでは海辺の漁村)で伴の人生のために移籍を勧めるようなことを言って伴によって柔道で投げられる羽目となり、最終的に後楽園球場での非公式の対決で「中日へいけ」と伴に告げた。そして飛雄馬の姉であり一徹の息女(むすめ)である明子も喫茶店で伴に中日への移籍を勧めた。
伴宙太は青雲高校時代の柔道部から野球部への移籍のときから星親子によって人生を翻弄された結果となった。
明子が伴宙太を「大きなぼうや」、一徹が伴宙太を「とっちゃんこぞう」と呼んで罵倒した場面は原作で比較対照され、それはアニメで一層強調された。明子も一徹の子であることは確かだ。

 

また、飛雄馬が惚れた看護婦・日高美奈も明子に似ている。コクトー(Jean Cocteau)の詞(ことば)を引用したり、一度は飛雄馬を平手打ちにしたところも似ている。伴宙太は美奈を「弟をしかる姉のごとし」と言っていた。

 

アニメ『新巨人の星II』の最後、明子は花形の子を出産。しかし、父・一徹はそのときに他界していた。

 

twilog検索 〔明子
「巨人の星」の明子は父と弟の練習を木陰で見守って泣いているイメージが強いようだが、男たちを野球地獄に追い込む魔性の女のような側面もあり、作品全体で見ると二重人格的な女性である。

 

参考になるHP
星飛雄馬の姉・明子は、実は恐ろしいおなごです
2006年12月18日 00時00分

14:35 - 2013年1月13日

 

吉永小百合は1945年3月13日生まれ。その3日前の1945年3月10日に東京大空襲があった。「巨人の星」のアニメでは東京大空襲の時、飛雄馬の母・春江が当時赤ん坊だった明子を連れて避難。吉永小百合は星明子と年齢が近い。

 

1970年開幕前のキャンプの時期、星明子は伴宙太に中日への移籍を勧めた。1976年前期、伴が飛雄馬の敵に回ったら、花形明子は嘆き悲しんだ。どうも星明子は二重人格者だったようだ。
20:36 - 2014年11月22日
related tweet

 

2020年02月22日(土)

一徹に赤紙が来た時、妻・春江が妊娠。この子供が明子。終戦の時点で明子は生まれていた。
巨人の星(青雲編)第48話「父一徹のスパイク①」 野球侍SAKIのブログ
巨人の星(青雲編)第48話「父・一徹のスパイク②」 野球侍SAKIのブログ

posted at 08:14:10

 

安全な株 - 人生に必要なことは、すべて梶原一騎から学んだ

8:52 - 2020年3月26日

 

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星明子 [1]〕~〔星明子 [9]〕
星明子 新約 巨人の星 明子
明子(twilog)


注釋
ガソリンスタンドで働く
原作では明子がガソリンスタンドで働き出したのは1969年、新年に明子と飛雄馬が東京タワー近くのマンションに引っ越してからで、明子がガソリンスタンドで働く場面は1969年の球宴のときに飛雄馬が長屋を訪れている間に伴がマンションの明子を訪ねたときであった。
ところで伴は一徹や明子に話すとき、飛雄馬を「星のやつ」と言うが、ここでは「飛雄馬君」とでも呼ぶべきではなかったか。
なお、『新約「巨人の星」花形』では飛雄馬と花形の高校時代ですでに明子がガソリンスタンドでアルバイトをしていた。これはKC(講談社コミックス)の第22巻(2011年2月17日初刊)に収録されている青雲高校と紅洋高校の決勝戦の時点であり、会社はENEOSに似た名前のENEOZであった。原作をアニメ化した無印『巨人の星』の明子は確か日石のCMに出ていたはずで、『新約』の明子は別の会社で働いたわけか。この明子は弟と花形の敢えて試合を見ずに仕事を続け、店長からなぜ試合を観ないか訊かれると、明子は「私…その…どちらも応援できないですから…」と言っていた。
プロ入り後、花形が飛雄馬の大リーグボール1号を打つ直前、花形と飛雄馬は喫茶店で会っており、飛雄馬は花形に「この前、ウチの姉ちゃんにプロポーズしてフラれたんだって?」と訊いていた。



参照

星明子年齢変遷

 

牧場春彦(『巨人の星』)【人物】【スポーツ】〕

 

T-CupBlog>〔星明子のキャラクター(1970年代)〕

2019/4/18  12:01

 

東京大空襲75周年

 

星明子年齢変遷
日高美奈
『巨人の星』(2008年8月以前)
スポーツ全般、梶原vs水島他(2008年7月~8月)