▼原爆投下~玉音放送(『はだしのゲン』、『ドラえもん』)
『はだしのゲン』もこの「終戦」の年の四月から記録されている。もとは『おれは見た』という自傳(傳≠傅)的作品であった。
原爆に関しては井伏鱒二も『黒い雨』でも扱っている。中沢啓治も『黒い雨にうたれて』を書いている。
『はだしのゲン』の主役、中岡元は当時、小学生二年。誕生日は一九三七年度(一九三七年春~一九三八年春)であろう。父親・大吉が戦争に反対していたので警察に連行されて殴られ、戦争を支持する町の者たちから「非国民」と呼ばれ、村八分にされた。父親は下駄に絵を描く仕事をしていたが、英子、元、進次が運ぶ際に町の者がいじめて下駄を川に落としてしまい、英子は学校で泥棒の濡れ衣を着せられ、また中岡家の麦畑も破壊された。日本国民のほとんどが戦争に協力し、進んで少数の反戦論者を弾圧していったことがわかる。「終戦」後になって。ひとごとのように「政府、軍部が悪かった」と言っている日本民衆、マスコミの偽善がここで見えている。同時に、多数意見を絶対化する「多数決」の安易さがわかる。
投資ブーム、手書きからワープロ、パソコンへの強制的な切り替え、テレビデジタル化の強制、エコロジーや禁煙など、世の中の流れに逆らうのは困難で、「大東亜戦争」もこれと同じである。株券電子化など、知らないうちに株主にされていた例もある。戦争への協力も同じだろうし、裁判員制度も赤紙と同じだろう。
こうなると、戦争が終わってから、「反戦」が輿論の主流となった時代に戦争を批判するのが、いかにご都合主義か、よくわかる。

ゲンの長兄・浩二は予科練に志願し、次兄・昭は田舎に疎開。

のび太の父・のび助も少年時代、疎開を経験していた。のび助は、昭和二〇年六月十日、食べ物がないつらい時期に「白ゆりのような女の子」からチョコレートをもらったと記憶しているが、その「女の子」は女装した息子・のび太であった。
また、のび助の弟(つまり、のび太の叔父)・のび郎によると、
争中、空襲で動物が逃げるのを防ぐため、動物園の象・ハナオが殺されたらしい(「ぞうとおじさん」)。実際はドラえもんとのび太がスモールライト(縮小灯)でハナオを小さくし、郵便ロケットでインドに送っていた。しかし、戦争中だったので、飛行物体は怪しまれ、撃墜される危険性があった。のび郎の証言によると、幸い、ハナオは無事、インドに着いたらしいが、どこでもドアを使ったほうが確実だったのではないか。

話を『はだしのゲン』に戻すと、中岡大吉は「アメリカと日本では資源がちがう」、「資源のない小さな国の日本は平和を守って世界中と仲よくして貿易で生きるしか道はないんだ」、「日本は戦争をしてはいけんのじゃ」と言っている。
そうなると、資源のある国が戦争をしていいことになってしまう。
また、大吉は日中戦争および太平洋戦争について、「軍部のやつらが金持ちにあやつられ、武力で資源をとるため、かってに戦争をはじめて、わしらをまきこんでしまったんだ」、「ひとにぎりの金持ちがもうけるために、国民のわしらになにひとつ相談もなくかってにはじめたのだ」と言っている。これはアメリカ、ロシア、シナといった外の戦争の原因への視点が欠けているが、のちにゲンと弟分・隆太は「戦争を起こした奴」と「ピカを落とした奴」を両方とも許せぬ責任者としている。久間元防衛大臣の「原爆しょうがない」發言は、日本が他国から戦争を仕掛けられた場合、報復に日本が敵国に原爆を落としていいという結論になる。
また、中岡大吉の言う「少数の金持ちが国民を無視」というのは、今の格差社会や、企業が勝手に生産を中国の工場に移している問題にも当てはまる。また、手書きからパソコンや携帯への移行の強制、株券電子化の強制、テレビの「地デジ」など、一部が国民に相談もなく、勝手にやっていることは多い。
日本では金持ちが金を公共に寄付する考えがなく、貧困層に分配されない。ゴッホ(Gogh)やルノアール(Renoir)の絵を買って、「自分が死んだら絵も焼いてほしい」と言った日本企業幹部もいたので、人類共通の遺産と言えるものは、オークションに出さす、公共の博物館などで保管したほうがいい。

戦争の原因を言うなら、第二次大戦だけでなく、秦王(始皇帝)が六国を「侵略」、「植民地支配」した戦争、『三国志』の戦争、川中島の戦争などの原因も考え、関係者を断罪し、被害者に賠償すべきであろう。自分の経験した戦争だけを問題にし、それ以前を単なる「歴史上の事件」にするのが人間の悪い癖である。

「國民食堂」では雑炊に箸が立つということで人が並ぶほど、食糧難だった。粥も米が少なく、顔が映るようなもので、もはやただの汁、「おもゆ」であった。
中岡家は知人から分けてもらったイモを警察に「ヤミで手に入れた」と見なされ、大吉、ゲン、進次は警官に殴られ、身ごもっていた君江も警官に蹴飛ばされ、イモは没収された。ここで警官が没収の口実にした「みなが空腹に耐えているのに、自分たちだけ食糧を独占するのはけしからん」というのは「平等」思想であり、「イモは兵隊の食糧」、「天皇に恥ずかしくないのか」は軍隊と天皇に特権を与えた差別思想である。これだから、格差社会の被害者はいつまでたっても救われないのだろう。社会の底辺の人は軍隊、自衛隊に入ったほうがいいということになるが、これも「政治」が作った間接的な徴兵システムであろう。
このように、「平等」と「差別」は表裏一体である。例えば、「日本国憲法」で「(日本)国民は法のもとに平等」とあるのは、「国民」でない人間を差別することに繋がっている。これはもう、宗教に近い。
一方、この警官も「大東亜戦争」の大儀を考えるなら、まず、一人でも多くの民衆に糧を与えることを考えるべきであった。「国のため」と言いながら、その「国」とは「天皇」と「軍」だけで、「(軍人以外の)国民」は入らないのであろうか。この警官の行動がかえって政府や戦争への反感を強める結果になった以上、この警官こそ「非国民」であるし、妊婦を蹴るなど言語道断。将来の小国民を誕生前に殺す気だったのか。この件で君江は「こんな日本なんかふっとんでしまえばいいんだ」と嘆いていた。こう言わせるまでに堕落した日本など、早く他国に併合されたほうがいいのではなかろうか。

大吉は「わしら貧乏人にとって戦争などなんひとついいことはない」として、平和を望んでいた。ところか六十年余りたって「ネットカフェ難民」(ネットカフェ関係者には不評らしいが、使用者は気にしないだろう)や「ワーキングプア(就労貧困層)」、「フリーター」(「フローター」のほうがいい気がする)が問題になっているとき、その格差社会の底辺にいると想われる人たちが「いっそ、戦争でも起きてほしい」と言っているようだ(赤木智弘『「丸山眞男」をひっぱたきたい』朝日新聞社『論座』二〇〇七年一月号」)。
つまり、「大東亜戦争」は貧困層が現状打破の切り札としての望む「戦争」でも国を豊かにできなかった意味で一時的には大失敗であった。フランス革命も一種の国内の戦争であり、ケーキもパンも食えない貧困層が怒ると戦争=一揆になる。戦争に反対する人たちが一揆、暴動、武力闘争を支持するのは大きな矛盾である。

『はだしのゲン』によると、被爆直前の廣島(→広島)にはアメリカ人の捕虜もおり、空爆を免れるため、Pという字を書いていた。Pris-on-er(=捕虜)の意味らしい。英子、ゲン、進次はこれを知ると、自分の屋根にPと書いた。
大吉と妻・君江は感動し、「わしは生きぬくぞ」、「こんな戦争で死んでたまるもんですか」、「あたしゃ、あの子たちを守るためならドロボウでもしてやりますよ」、「戦争をおこしてなん百万人の命の上にあぐらをかいて、かげでうまいものをくっているやつらにくらべたら、ドロボウなんてメじゃないわい」と言っていた。
戦争という殺し合いが正当化される社会では、もはや、あらゆる道徳は風化する。だから日本では殺人犯・赤穗浪士や窃盗犯・鼠小僧が英雄視され、いつまでたってもカネ目当ての住居侵入、窃盗、殺人が耐えないのだろう。
ゲンたちが書いたPの字は役に立たなかった。アメリカの原爆投下は、Pの書いた建物だろうと、無差別に破壊し、燃やした。
アメリカ側は初めから日本で核実験を予定し、原爆を落とすまでには日本を降伏させないよう、ポツダム宣言の内容や形式にも気を使ったらしい。
これに対して「黙殺する」などという、翻譯不能の妙な日本語で答えた当時の日本政府も思慮が足りなかった。
原爆に関しては、日本軍が事前にB29を迎撃できなかったのが大失態であるし、アメリカの核開發を事前に予知できなかった意味で、情報戦で失敗している。
現地で作業にあたっていた九州出身の兵隊がいた。ゲンとその兵士は焼け跡で防火用水に逃げ込んで死んでいた犠牲者を見て落涙。ゲンは「アメリカをやっつけてくれよ」、兵士は「やっつけてやる、アメリカを」と言っていた。この兵隊は「ピカの毒」の原子病で倒れ、逆にゲンが兵士を救護所に運ぶことになる。救護所についたとき、兵士は死んだ。こういった悲劇はアメリカではつたわっているだろうか。ゲンが真珠湾と廣島を別だと考えるのは、この犠牲者の無差別さと「ピカの毒」であろう。
アメリカの映画『The Day After』が描いた核戦争直後の地球は、町も人間もたいした被害を受けていなかったように見える。
(注釋・これは氷河期の到来を描いた『The Day Af-ter To-mor-row』とは別)
同じくアメリカの映画『True Lies』では核爆發の爆風を受けた人間がすぐに立ち上がって、走り出したようだった。アメリカ人は核をただのきのこ雲だと想っているようだ。
のちに焼け跡にアメリカ人の遺体があり、廣島市民が恨みをこめて石をぶつけていたが、ゲンだけは見るだけで「アメリカは自分の国の人間も殺した。ひどいやつらじゃ」(要約)とつぶやいた。
ゲンの父・大吉もアメリカ人の捕虜に同情的で、憎みあう戦争が悪いという考えだった。『はだしのゲン』を単純に「反米」と位置づけるのは無理であるが、少なくとも、かつて、「鬼畜米英」と呼ぶほどアメリカを批判していた日本の「大和魂」を受け継いでいるのは、その戦争を否定しているはずの沖縄の反米運動だけである。つまり、ヤマト(大和)のほうが腰抜けになったのであり、ピカを落とされて降伏した日本人が、「東京裁判」、「米軍基地」、「日本国憲法(昭和憲法)」、「安保条約」などを無批判に受け入れていることが、原爆の威力の正当化につながって、「原爆しょうがない」發言を生み、世界中の核競争を呼んでいると言える。

映画『LOST MEMORIES』では、原爆はベルリンに投下され、日米連合軍が東アジアを統合。これが実現していたら、拉致問題もなかったか、あっても早期解決しただろうが、農薬入り餃子や鳥インフルエンザ問題で「水際で防ぐ」ことはできなかっただろう。

『夕凪の町桜の国』は原爆投下当時(1945年)とそれから13年後(つまり1958年か)を扱っている。
 

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2008-02-28 16:00:00

 

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