萩・松本村サイクリング(東光寺・前篇) | 京一花日記帳

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この日の相棒は、こちらのお方



一人じゃなかった(●´ω`●)ゞ


自転車をお借りしたお店のご主人が力説してくださった、萩で一番のお勧めスポット



「黄檗(おうばく)宗 東光寺」

萩(長州)藩主・毛利家の菩提寺の一つです。

● 元禄4年(1691年)、萩藩三代藩主・毛利吉就(よしなり)氏が建立

…吉就氏は、若くして禅宗の一派・黄檗宗に深い信仰を抱き、特に、萩出身の名僧・慧極(えごく)氏を信じ崇めていました。
 慧極氏のために、黄檗宗の大本山・萬福寺(京都府宇治市)のような広壮なお寺を…と、家臣の別荘地だったこの地を買い取り、ここに東光寺を建てたそうです。
(当時は新寺の建立が禁止されていたので、もともとは下関で廃寺となっていた東光寺を、ここに移した)

● 吉就氏の没後、ここに墓所が営まれて以来、毛利氏の菩提所となった


この総門は、元禄6年(1693年)の建立で、国指定の重要文化財

ということは… 松下村塾のみなさんもお触れになった?門

↓ 慧極氏が書かれた、「護国山」の額




*三門* 文化9年(1812年)建立  重要文化財


静か~




*鐘楼* 元禄7年(1694年)頃、建立  重要文化財




*大雄宝殿* 元禄11年(1698年)、建立  重要文化財





正面の半扉は、中国で魔除けの意味を持つ桃が彫ってあって、「桃戸」という可愛い名前





そして…この奥に広がる、

*元治甲子殉難烈士墓所*




元治元年(1864年)の禁門の変ののち、長州藩は、幕府に謝罪し恭順しようとする恭順(俗論)派が政権を握っていました。
それではいけないと、のちに立ち上がる高杉晋作氏率いる正義派。
藩がひとつにまとまらない中、たくさんの血が流れました

ここには、

● 禁門の変を幕府に謝罪するため、藩に自刃を命じられた三家老

● 恭順派の藩の命で自刃したもう一人の家老・清水清太郎氏

● 禁門の変や長州征伐の責任を感じて自刃した周布政之助氏

● 恭順派の藩に反対したため、野山獄で斬首された尊王攘夷派の十一烈士

● 正義派と恭順派の和平を目指し活動し、恭順派の選鋒隊士に襲われた東光寺党(鎮静会議員)の殉難三士

のお墓がありました





殉難士碑




人のための未来をつくるのに、人の命が犠牲にならなければならないことのやるせなさ



その奥には、

*毛利氏廟所*



● 毛利のお殿様 三代藩主・吉就氏、五代藩主・吉元氏、七代藩主・重就氏、十一代藩主・斉元氏
と、各夫人のお墓

● 関係者のお墓40基

● 鳥居5基

● 重臣らより献上された石燈籠500基(!)

などがあり、総面積5,179,55㎡。

すべてに圧倒される、私のような小物が入ってはならない場所



あしあと オレンジ 毛利家のお殿様の墓所はほかに、

天樹院墓所(萩藩祖輝元氏のお墓) …萩市

大照院墓所(初代藩主秀就氏と二代から十二代(偶数)藩主のお墓) …萩市

香山墓所(十三代藩主敬親氏~のお墓) …山口市





があるということです。



大変な場所に、お参りさせていただきました。ありがとうございました。

東光寺の後篇に、続く~!