大坂幕末散歩2 京橋、大阪城、豊国神社 | 京一花日記帳

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*京都や幕末、日々のことを綴っています。ご訪問ありがとうございます*

以前に行った、大坂幕末散歩の続きを綴らせてください。

(注) この回は、幕末から離れてしまってます(えっ)


大坂幕末散歩1  では、八軒家船着場跡を訪ねました。


★今回のお散歩範囲★




八軒家をあとにして、大阪城へ向かって歩くと、見えてくるのが、「京橋(きょうばし)




「京橋」という名前は、京都に住むようになってから、駅の名前でよく聞いていますが、実物に出会えるとは…!!感動です。

思っていたより、小さな橋でした。 下を流れるのは、寝屋川です。

「京橋駅」は、ここから少し東に行ったところにあり、名前の由来となったこの橋からは、離れています。




ここ京橋は、かつての京街道の起点でした。

京都へつながる橋なので、「京橋」という名がついたのですね!

東海道五十七次の終点でもあり、大坂の玄関口として賑わっていました。


また、京橋のすぐ近くには、




京橋川魚市場跡」の碑がありました。
調べてみたところ、この市場は、江戸時代、「雑喉場の生魚市場」「永代浜の干鰯(ほしか)市場」と共に、
大坂の三大魚市場として、にぎわっていたのだそうです。



こんな感じで… ↑
もともとは、漁民が、獲れた川魚を持ち寄り、路上で売っていたのが始まりだそう。
近世を通して、幕府から、大坂で川魚を独占的に扱うことを公認された市場となりました。
近代に入ると、大阪川魚株式会社が設立され、その後、現在の大阪中央卸売り市場に吸収されたのだそうです。 (説明書き等より)

現在は静かな京橋付近ですが、江戸時代にはこんなに活気にあふれていたんですね!そしてそれが、現在の卸売市場に… 歴史のつながりを実感します。

さて、京橋を渡り、少しまた南へ歩くと、いよいよ、「大阪城」です。





桃が、とっっても、綺麗でした…! (いつの話だ)



大阪城の真ん前に、立ってみます。この日、生まれて初めての、大阪城です。





今年は、戦国時代最後の大合戦、「大坂の陣」から、ちょうど400年の節目の年です。

*大坂の陣*
関ヶ原の戦いで石田三成氏らの西軍に勝利し、江戸幕府を開いた徳川家が、
秀吉公亡き後も大坂城で権威を保持し続ける豊臣家を、滅ぼした合戦。
大坂冬の陣:慶長19年(1614年)、大坂夏の陣:慶長20年(1615年)。
慶長20年5月7日、大坂城は落城、翌8日、秀吉公の妻・淀殿、遺児・秀頼氏が自害し、豊臣家は滅亡した。


というわけで、大阪城 桜門からほど近い、「豊臣秀吉公」「豊臣秀頼公」「豊臣秀長卿」を奉祀する神社、「豊国神社」へ、お参りしました。



「豊臣秀吉公 銅像」



後光が、まぶしすぎて… (´□`。)
この豊国神社は、出世・開運の神様がいらっしゃいます。
この日はお参りだけでしたが、ゆっくり訪ねると、見どころがたくさんありそうです。


*おまけ*
① 大阪城からみた、「大阪府警本部



手前の、白い、大きなお皿が載っている建物です。
一階部分を、石垣に見立て灰色にするなど(見えませんが)、大阪城をモチーフにデザインされたのだそうです。
格好よいですね!
(これを見ると、どうしても、「名探偵コナン」の服部平次くんを思い出します(笑))

② そのおとなりの、「大阪歴史博物館



ものすごい近代的な建物ですが、2001年にこちらが完成するまでは、大阪城の目の前にある、こちらの建物



が、「大阪市立博物館」として、使われていたそうです。

調べてみると、
● 昭和御大典記念事業として、市民からの寄付金により再建された大阪城天守閣とともに建設された建物。
● 終戦までは軍の司令部がおかれ、大阪市警察庁本部、大阪府警察本部を経て、地域の歴史を扱う博物館の先駆的存在として運営されてきたが、大阪歴史博物館の開館にともない、2001年に閉館。

その後は、一般公開が時折行われる程度で、活用されていないそうです。 (ウェブサイトより)
外観しかわかりませんが、、こんな素敵な建物なのに… 勿体ないですよね。