天王山!(後篇) | 京一花日記帳

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極寒の日曜日、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
京都市内は、今朝、またまた雪が積もりました。雪


ヒヨコ


さて、12月21日に登った、天王山!の後篇が、ようやく書き上がりました…

※自分の勉強のための記録でして、かなり長いです。

前篇はこちらです。 → 天王山!(前篇)


天王山山中の、寺社仏閣や美術館を巡り、ご朱印を集める「天王山歴史スタンプラリー」。

続きです。


酒解神社から歩いてすぐ、ついに辿り着きました。「十七烈士の墓」
幕末の禁門の変において、この地で自害して果てた真木和泉氏ら17名が眠る場所です。




背の高い木々に囲まれ、その木々が風で揺れる音だけが響く、とても静かな場所にありました。

※当初は宝積寺の境内にありましたが、1868年(明治元年)、こちらに移されたそうです。


1863年の八月十八日の政変で、京を追われた長州藩。
同時に、三条実美氏ら尊王攘夷派の公家7名も、京を追放され、長州へ落ち延びました。(七卿落ち)

この時、京で尊王攘夷活動をしていた久留米藩士の真木和泉(和泉守、保臣とも)氏も、七卿とともに長州へ逃れました。


翌年の1864年6月、池田屋事件の悲報を受け、長州藩の急進派・来島又兵衛氏が、久坂玄瑞氏らとついに挙兵・上洛するのに合わせ、

同じく急進派の真木氏も、脱藩浪士を率い、長州軍に加勢します。


6月25日にはここ山崎の天王山、離宮八幡宮、大念寺、宝積寺 などに布陣しました。

7月19日、蛤御門周辺でついに戦火が上がり(禁門の変の始まり)、真木氏らも出陣しますが、 長州軍勢は押され、来島氏、久坂氏らは御所内にて自害。

真木氏らは天王山に戻り、残兵を長州へ戻し、長州で再起するよう託します。

そして自らは、16名の同志とともに天王山に留まり、追手の会津藩士・新選組と一戦を交えたのち、陣小屋に戻って火を放ち、全員がその火の中で切腹して果てました。
その勇敢な死に様は、敵である会津藩士や新選組も一斉に賞賛するほどであった、と、 新選組隊士永倉新八氏著書「新選組顛末記」にもあります。


ここで亡くなった17名の勇士は、久留米藩、土佐藩、肥後藩、宇都宮藩、筑前藩の方々。

長州藩士はいらっしゃいません。

遠く離れたお国もとから、自らの信じる日本の未来のために、 長州に集い、京へのぼり、命を捧げられた方々です。

私たち現代人は、このような偉大な志士の方々に、何とお声がけしたらよいのでしょうか…。

ご冥福を心よりお祈りし、手を合わせました。


さらに下山し、ご朱印地点④「旗立松・展望台」です。




(この鳥居↑は、酒解神社の鳥居です。ここまでがずっと参道だったのですね)


1582年の天王山の戦いの際、 秀吉軍の士気を高めるため、ここに立つ老松に、千成瓢箪の旗印(秀吉氏の馬印として有名なアレですね!)を掲げたところ、 戦局が有利に動いたことから、その松を旗立松、と呼ぶようになったそうです。




展望台からの眺め。




こちらが、天王山から見た、八幡の石清水八幡宮のある男山です!




淀川を挟んですぐの向かい側にあります。やっぱり、近いですね!

この展望台からは、木津川・宇治川・桂川が合流し淀川となる、すごい場所が見られます。
が、私の背が低いために、見えませんでした(泣)

ここにも、「秀吉の道」パネルがありました。








続いて、順番を間違え、ご朱印地点⑤⑥を飛ばしてしまい、⑦「観音寺」へ。




このお寺もまた、禁門の変で全焼し、明治に復興されました。

江戸時代には、現世利益を求めた大坂の商人の信仰を集め、おおいに隆盛したそうです。






灯篭に触ると、商売繁盛のご利益があるそうですよ!


続いて…






ご朱印地点⑤「宝積寺」へ。






このお寺は、聖武天皇(701年-756年)が夢で竜神から授けられたという「打出」と「小槌」を祀ることから、「宝寺」「大黒天宝寺」の別名があり、商売繁盛のお寺として知られています。

このお寺も、江戸時代は商人の方々で毎日大賑わいだったそうです!


本堂左の「小槌宮」↓に大黒天が祀られ、打出と小槌もこの堂に祀られています。

打出と小槌で、参詣者に福徳を授けているそうです。






ここ宝積寺は、山崎の戦いでは秀吉の本陣となり、禁門の変では、十七烈士らの陣地が置かれました。

お寺の途中にあるお墓には、十七烈士の大きな碑があります。(が、行けませんでしたorz)

※お寺の隅に、こちらもありました。




また、こちらの出世石は、秀吉氏が腰掛けた石として有名で、 座ると出世できるそうです。

ご家族連れが来ると、お寺の方がこの柵を外して、お子さんに座らせてあげていました!いいな…




こちらの「閻魔堂」も、気になりました…





さくさく行きます。 続いてご朱印地点⑥「アサヒビール大山崎山荘美術館」です。

この素敵なトンネルを抜けると…




ありました。まさに「山荘」です。




中に入る時間がなかったのですが、お庭に佇む雰囲気を楽しみました。


この美術館から見える、宝積寺の「三重塔」↓




秀吉氏が一夜で建てたことから、「一夜の塔」と呼ばれますが、

これは、まわりを囲む木々で隠しながら建て、完成後一気にその木を伐採することで、 まるで一夜にして建てたように見せた、秀吉氏の知恵だったそうですよ!(宝積寺の方のお話より)




こんなうさぎさんもいらっしゃいました。ちゃんと食べてる?(;´Д`)ノ


そして、最後のご朱印地点⑧「離宮八幡宮」です。






こちらは、荏胡麻(えごま)油発祥の地として有名です。なんと平安時代末期発祥!

油の販売で、大山崎は幕府より自治権を認められ、自治都市として独自の発展を遂げたのだそうです。

現在は、油の神様として、製油業者の厚い信仰を得ているそうですよ。




境内にて、えごま油を使ったワークショップなどが楽しめる、「冬のえごまフェスタ」開催中でした☆

一緒に行った友達の空腹加減が最高潮となり、参加できなかったのが悔やまれます…

えごまって、美容にいいらしいですね!




ちなみに、この離宮八幡宮の近くには、




俳諧の祖、山崎宗鑑氏が開いたという「妙喜庵」がありました。

天王山の戦いに勝利した秀吉氏は、天王山の山頂に山崎城を築き住みますが、 当時の妙喜庵の和尚は千利休氏の弟子であったことから、 利休氏をも大坂から呼び寄せ、城下のこちらに住まわせたそうです。


こちらにある、利休氏がつくったという茶室「待庵」は、日本にあるただ3つの「国宝茶室」のうちの一つなのだそうです!



そして、ついに! スタンプラリー完成です(ノ´▽`)ノ 




ヒヨコ


初めての天王山、たくさん学ばせていただきました。

新参者の私を受け入れてくださり、本当にありがとうございました。また、お邪魔させていただきたいです。



*おまけ*

帰り道、できたてほやほやの西山天王山駅にて。








長岡京ガラシャ祭(11月上旬に行われる長岡京市のお祭り) 

マスコットキャラクター お玉ちゃんと、


白黒竹食街道(長岡京市のNewご当地グルメプロジェクト) 

マスコットキャラクター しろんちゃん


でした♡