産寧坂、二寧坂、そして霊山歴史館(前篇) | 京一花日記帳

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*京都や幕末、日々のことを綴っています。ご訪問ありがとうございます*

今日は、昨日から降り続いた雨があがるのを待って、

清水寺界隈から、霊山歴史館へ、行ってまいりました。

まずは、清水坂を上がります。


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相変わらず、すごい人…。 異人(外国の方)も、多くいらっしゃいます。

左手に、さっそく本日の目的地への案内がありましたよ。


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「近道」の手が、いい感じです(笑) 指さす方向へ進むと、そこは産寧坂です。


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400年以上も前からある有名な坂…。

「この坂を通って清水寺を参詣すると安産する」!!存じ上げませんでした。

さて、この産寧坂を下ると、


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右手に、「明保野亭」が姿をあらわします。 ここは、討幕派の幕末志士たちが度々集まって会合を開いた宿です。

また、坂本龍馬氏が定宿としていた場所とも言われ、中岡慎太郎氏も度々ここを訪れていたという記録が残っています。


ここで起こった事件として有名なのが、「明保野亭事件」です。

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池田屋事件のわずか5日後の1964年6月10日、新選組は、ここに長州派勤王志士らが討幕に向けて密会しているとの情報をつかみます。

壬生の屯所から、武田観柳斎率いる新選組隊士十数名、そして前日からそこに張っていた会津藩士数名が、現場を急襲します。

その際、その場から逃げだした志士が一人いたのを、会津藩士、柴司氏がすかさず槍で攻撃しました。


ところが、攻撃されたのは長州志士ではなく、土佐藩士(麻田時太郎氏)だったから大変。

会津藩は、土佐藩へ医者と謝罪の使者を送りますが、

翌日、土佐藩側が、なんと麻田氏を(名乗りもせず逃げようとしたことから?)「士道の本意相立たずにつき」切腹させてしまいます。


それを知った若い土佐藩士らが、「麻田が切腹したのに会津藩の柴氏には何もお咎めがないのは不公平」と激昂。

公武合体を支持しながらも、土佐勤王党など内部で討幕派がうごめく土佐藩と、会津藩の「表面上」良好だった関係は、一気に危ういものとなってしまいます。

そこで…、さらに翌日、会津藩の柴氏が責任を取って自害。何とか事は収まったということです。

柴氏は、自らの死を以て、両藩の関係を保ったことになります…

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始めはささいなことだったのに、自藩のために、二つの命を失うこととなったこの事件。

何だかすっきりしない、つらい事件です。

ちなみに、当時の明保野亭は、現在よりも少し北東側にあったそうです。


さて、この現在の明保野亭の手前にあるのが、、京小物・ふくろもののお店「あけぼの亭井和井」


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(写真左下に映っている小さな丸い石が、明保野亭の碑です)


こちらで購入できる、香彩堂さんの「紅葉香 あおやぎ」というお香は、母も私も大のお気に入りです。

ここを通ると、つい買ってしまいます。今日も…


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癒されるかほり… 秋の始まりをイメージした香りです。

このお香は、オンラインでも購入できます。 香彩堂


さらに進むと、


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陶器のお店。前を歩く際、いつも外のディスプレイを楽しませていただいています。


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いろんな箸置き。この並んだ感じ、かわいいですね♪


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ガラスの向こうに、鳥獣戯画の器発見!


次に見えてくるのが、イノダ珈琲清水支店。


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窓の向こう側から、招き猫さまが一生懸命招いていました。


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さらにさらに、吸い込まれそうな「京のお宿」入口を横目に進むと、、


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左手に、八坂の塔です。


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ここから、二寧坂へ突入です。


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↑ 何やら恐ろしいことが書いてありますので、ここを通る際にはお気を付けください…!


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「甘党の 素通り出来ぬ 二寧坂」 同意。甘味屋さんの多いことといったら…!(産寧坂も!)


そうして、ようやく二寧坂を下り終えようとした矢先・・・


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い・・・一念坂!1992年(平成2年)に整備された道なのだそうです。


ようやく、辿り着きました。


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霊山護国神社、霊山歴史館へとつながる、「維新の道」です。


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いよいよ!というところで、力尽きましたので、後篇へ続きます。