維新庵 | 京一花日記帳

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やっと金曜日♡

今晩の夕食は、今季初のシチューにしてみました。


さて、昨日ご紹介した「幾松」ですが、左隣に、雰囲気のある洋館が建っております。


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その名も「維新庵」、入口の頭上には「IKUMATU」の文字です。


なんと、こちらは料亭旅館「幾松」の別館といったところで、

「幾松」の板長が腕をふるうお料理を、かなりリーズナブルにいただけるレストランだそうです。

一番お手頃なものだと、長州御膳(2100円)!

それぞれのメニューに、維新関連の言葉がつけられているのがまた魅力的です。


「幾松」本館は、よう行かんけど…、こちらの「維新庵」なら、うちでも行けます♪



さて、ここで、桂氏と幾松さんについて書きたいと思います。

二人が出会った頃は幕末の激動期、幾松はすでに有名な芸妓で、山科の豪家(名家)に贔屓にされていました。

桂氏はたいそうお金をつかって、幾松を自分のものにしようとしたそうですが、

最後は、なんと伊藤博文氏が名家を刀で脅して(!)桂氏のものとなった…との文献が残っているそうです。すごい話・・・本当でしょうか。。

どちらにしても、その後のお二人の結束ぶりを考えれば、きっと最初から相思相愛やったんやろうな・・・と感じますよね。


幾松は、八月十八日の政変、禁門の変を経て幕府側から追われる身となる桂氏を、支え続けます。

新選組が桂氏を捕縛しに踏み込んできた際、彼を箱に隠し、その前で三味線を毅然とかき鳴らして先を進ませない幾松の姿は、よく創作でも登場しますが、 その場所が、ここ「幾松」だったとか。

また、二条大橋あたりで乞食姿で潜む桂氏にご飯を届ける場面も有名ですよね。史実だそうです。


明治維新がかない、お二人は晴れて正式に夫婦となりますが、桂こと木戸氏は、新しい日本をつくるというもっとも難しい課題に悩まされることとなり、ゆっくりはできません。

そんな彼を、変わらず最期まで支え続けた幾松こと松子さん。


現在は、お二人仲睦まじく、並んで京都霊山護神社の墓所で眠っていらっしゃいます。



ところで・・・個人的に印象深いのが、お二人は10歳も年が離れているということ。


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桂氏、若くて美しく有名な人気芸妓の幾松さんを、ここまで惚れさせるとは…


どれだけ魅力的な方だったのでしょうね( ´艸`)