桂小五郎幾松寓居跡「幾松」 | 京一花日記帳

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*京都や幕末、日々のことを綴っています。ご訪問ありがとうございます*

寒い・・・・・・(´□`。)


京都は、昨日あたりから、いきなり冬です。秋はいずこへ…

でも、夏のうだるような暑さも、冬の底冷えする寒さも、京都ならでは。愛おしく感じます。



昨日、冷たい風が吹きすさぶ中、また高瀬川沿いを歩いてきました。


先日ご紹介した、「一之舟入」を南に真っ直ぐ進むと、有名なこちらが左手にございます。


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桂小五郎と幾松寓居跡「幾松」です。


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門をくぐり抜けた先には、幕末の香り。


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桂小五郎氏といえば、高杉晋作氏とともに、 長州藩尊王攘夷志士の双璧と云われた人物。

気性が荒く、暴れ牛と称された晋作さんとは対照的に、

冷静で我慢強く、穏やかであったとされる桂氏。

桂氏の方が6歳上であったこともあり、よく晋作さんのことを気にかけていたそうです。


二人の性格があまりにも正反対であることから、きっと、互いの欠けた部分を補い合う関係だったんでしょうね。


さてこの桂氏、「逃げの小五郎」との異名がつくほど逃げるのが上手だったことはあまりにも有名ですが、

実際は、剣豪と呼ぶにふさわしいほどに強かったのです。

とにかく争いを好まず、真剣での闘争の記録がほとんどないとのこと。

人を殺めることの重さをわかっていたのでしょうか。そんなところに、魅力を感じます。

そんな桂氏と出会い、恋仲になり、幕末から明治維新へ、ひたすら彼を支え続けたのが、芸妓の幾松さん、のちに妻となる木戸松子さんです。 本当にお綺麗な方だったそうです。


このお二人については、次の記事で書きたいと思います。


ここ「幾松」は、激動の時代だった幕末にはお二人の、 そして明治初期には桂氏の他界後、彼の面影を求めるように東京から再び戻った幾松(松子)さんの、 寓居でした。


現在は、登録有形文化財でありながら、旅館そして料亭として、営業されています。

詳細は、こちらをご覧ください。→料亭旅館幾松


12月から4月まで期間限定で、幾松さんのお部屋をみることができるそうです(10名以上で要予約。)

幕末の空気がそこにある、佇まい。 一度でいいから、宿泊してみたいものです。



ところで、この「幾松」の写真を撮っていたら、 通りすがりの綺麗なお姉様に、お声掛けいただきました。

「いつもここを通っているけど、こんなところにそんな有名なものがあったなんて、知らなかった。ありがとう。」


実は、京都で史蹟を訪ねていると、よくこんなふうに話しかけられます。


私のような一般人でも、こうやって歴史を想って生きることで、 幕末の時代が今もすぐそこにあって、

今の私たちの平和をつくったもののひとつであることを、他の方にも知ってもらうことができる。

一人でも多くの方と共有できたらうれしいな…と、思います。