今日の京都は、朝からすごい雨でした…。
でも、日中は、うそみたいに晴れて、夕方からまた、降ったり止んだり。昨日、二条大橋界隈の巡察に出かけましたが、
高瀬川一之舟入と、角倉了以氏邸跡の後に続きがありましたので、書きます。高瀬川一之舟入を右手に、西へ歩いていき、河原町通に出たところで南に曲がると、
そこはもう、京都河原町長州藩邸跡、現ホテルオークラです。河原町通に面するこのエントランスの左側には、こちらの方。
どちらを見つめていらっしゃるのでしょう。
エントランス右側には、こんなものも。世界とつながる京都洛中。
長州藩邸跡の石碑が、探せども探せども見当たらず…
今日、改めて訪ねました(笑)あった!
御池通に面するホテルオークラの門の、裏に隠れていました。
さて、長州藩といえば…
1863年8月18日の政変で、京都から追放されたのに続き、
翌年6月5日、新選組による池田屋事件で吉田稔麿氏らを失った長州藩は、 ついに挙兵・上洛。7月19日、会津・薩摩を中心とする朝廷・幕府軍とぶつかります。
禁門の変(蛤御門の変)です。
これに敗れた長州藩は、自ら長州邸内に火を放ち、京都を逃れました。
戦い自体は一日で幕を閉じましたが、火はたちまち市中に延焼し、21日早朝まで燃え続けたそうです。
その後、1866年に薩長同盟を締結、また第二次長州征伐(四境戦争)で幕府軍に勝利するまで、長州藩は「朝敵」として追われることになります。
150年前に、まさにここで、そのような出来事があったとは、
この場所に流れる穏やかな空気からは、すぐに情景が浮かびあがりませんでした…。