タケさんのブログ クラシック時々ポピュラー -8ページ目

タケさんのブログ クラシック時々ポピュラー

クラシックを中心に、ポピュラーや民族音楽なども(少し)紹介してます。
レアなものや変わったものも多いので、良ければ見てやってください。

 ※時々指揮者も混ぜます。

 Edouard van Remoortel(1926-1977)生誕100年です。

 ブリュッセルに生まれ、ブリュッセル音楽院とジュネーヴ音楽院でチェロを学ぶ。 17歳でデビューするも、指揮者を目指し、イタリアのキジアーナ音楽院でアルチェオ・ガリエラに師事。 帰国後、パリのコンセール・ポピュレール(現コンセール・パドル―)の常任ではない首席指揮者に就任、研鑽を積む。 1951年から58年まで、ベルギー国立管弦楽団の首席指揮者を務める、後任はクリュイタンスであった。 1958年から62年まで、セントルイス交響楽団の首席指揮者となった後は、モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団の顧問となったほかは、フリーで活動。 1976年5月16日パリにて没、50歳であった。

 この人、今は、ほとんど知られていませんが、アナログ時代の、名曲アルバムには、よく音源が使われていて、けっこう、いい演奏だったんです。 クラシック音楽としては、フランスの属国のようなベルギー出身だったことと(すでにクリュイタンスもいた)、けっして一流とは言えないキャリアなので、軽く見られがちですが、今だったら、日本のどこかのオーケストラで音楽監督してても不思議ではないと思います。

 

では、フランクの交響曲ニ短調のフィナーレを。モノラルですが、いい演奏なのは、わかると思います。

 

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 Franz Ignaz Danzi(1763-1826)没後200年です。

 初期ロマン派の作曲家です。 シュベツィンゲンに生まれマンハイムで育つ。 父親は高名なチェリストであった。 父とゲオルグ・ヨーゼフ・フォーグラーの指導を受け、1778年には、プファルツ選帝侯カール4世フィリップ・テオドールの宮廷楽団に迎え入れられる。 いわゆるマンハイムのオーケストラですね。

 1784年、プファルツ選帝侯を継いだカール・テオドールのミュンヘンの宮廷楽団の首席チェロとして移籍。 1892年には、声楽家の妻と共に、ドイツ、チェコ、イタリアの都市に、オペラ巡業を行った。 1798年には、ミュンヘンに戻り、第2宮廷楽長に就任するも、1807年、待遇への不満から、シュトゥットガルトに行き、そこで宮廷楽長となる。 1812年には、カールスルーエに移住し、王立音楽院に就職。 1826年、同地で没。

 作曲家としては、当時も一流ではありませんでしたが、音楽家としては優秀で、作品も、良い響きを持ち、魅力的でした。ちょうど、中産階級が音楽を楽しみ始めた時期だったので、あちこちで評判になったのは、想像に難くありません。 特に、木管五重奏曲は、響きの良さが秀逸で、定番のレパートリーになってます。

 

 と、言いつつ、ピアノと木管楽器のための五重奏曲です(笑) ピアノ伴奏でのソロのリレーとか、管楽器をバックにしたピアノ協奏曲風の部分など、さまざまな工夫が楽しいです。

 

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 Ben Johnston(1926-2019)生誕100年です。

 アメリカの現代音楽作曲家で、これまた、独特なスタイルで作曲した人です。

 いわゆる微分音を使った人で、先達のハリー・パーチに触発され、音の高次倍音列を使います。これは、1つの音には、必ず倍音が含まれていて、それが、その楽器の独得の音を構成するんですが、必ずしも、整数倍ではなく、ドの音を出しても、はるか上の倍音は、まったく違う音階だったりするのです。 それを用いて、弾かせるので、やはり、トンデモ音楽に聴こえてきます。しかし、自然に出てくる音なので、聴いてみると、そこまで、メチャクチャに聴こえないのが不思議なところ。

 ながらくイリノイ大学で教鞭をとっていたことが、知られています。

 

では、弦楽四重奏曲第4番を。 アメイジング・グレイスによる変奏曲なんですが、上記のスタイルなので、ピッチやリズムが、どんどん細分化するため、最後は、大変なことになってます。

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 50年たっちゃんですね~・・・・ 時の流れは無情だ・・・・・。 なんてなw

 イーグルス最大のヒットにして、アメリカン・ロックの金字塔、なんて言うには存在が大きすぎますね。 

 当時の批評の中に、「テイク・イット・イージーと言って、走り出した彼らも、時がたち、悩みを抱えるようになった。」ってのがありましたけど、ちょっと違うかな?とも思います。

 この、「ホテル・カリフォルニア」は、ロックという音楽ジャンルが、行き詰っていることを示したもので、ある時から、まったく進歩していないんだ、と言うものなんです。 でも、独特の重苦しいムードと、思わせぶりな言い回しの歌詞から、オカルティックな意味を詮索する人まで現れました。 事実、イーグルス自体も行き詰って、3年かかって、「ロング・ラン」をリリースするのが精いっぱいで、解散しましたからね~。

 あらためて聴いても、アメリカン・ロックの終焉のようなものが聴こえます。 ロックン・ロールに、ブルース、カントリーなどをミックスしたのが、アメリカン・ロックですが、洗練されたコーラス・ワークを加え、ベースなどのフレーズも独特のものを開拓したんですが、結局、ソウル/ファンク系に、にじり寄っているように聴こえます。 この後、出てきたロック系のヒットも、手を変え品を変えしたけど、このアルバムを超えられなかったと思います。 何百年か経って、20世紀の音楽史のなかに、「ホテル・カリフォルニア」が記されると思います、知らんけど(ぉぃ!!!w)

 では、何曲か。

 

最後の、ツイン・ギターが、冥界へ行く音だ、と言う人もいます。

 

この、ニュー・キッドは、ホール&オーツのことです。

 

「Last Resort」って、最後のリゾートではなく、いろんなことをやった後の、最後の手段って意味なんですね。 これも、ロックの終焉ってこと?

 

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 Johann Adolf Scheibe(1708-1776)没後250年です。

 バロック末期に、主にデンマークで活躍した作曲家です。

 ライプツィヒにオルガン製作者の息子として生まれる。1725年から、ライプツィヒ大学で哲学と法律を学んでいたが、経済的な理由で挫折。 その後、オルガンとチェンバロ教師になる。 その後は1735年までライプツィヒで作曲家、音楽教師として活動。

 1736年、ハンブルクに移住すると、すぐに、ヨハン・マッテゾンとゲオルグ・フィリップ・テレマンと友人になり、「批判的音楽家」という雑誌を刊行、1739年には、デンマーク王が支配するシュレスヴィヒ=ホルシュタイン公領の総督、フリードリヒ・エルンスト・フォン・ブランデンブルグ=クルムバッハ(長いなぁ(笑))の宮廷音楽長となる。 1740年には、総督の姉が、デンマーク王の妃だったため、宮廷楽長となり、コペンハーゲンに移住。世俗音楽、教会音楽にかかわらず、多くの作品を残した。 1749年に、ソンダ―ボルグに移住するも、1762年に、コペンハーゲンに戻り、そこで生涯を終える。

 スタイルとしては、ギャラント様式で、協奏曲、シンフォニア、ソナタなどを作曲しており、音源もけっこうあるので、バロック好きには、人気なんでしょうか?

 

 とりあえず、シンフォニアを。

 

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 Louis Couperin(1626-1661)生誕400年です。

 甥のフランソワ(大クープラン)に次いで有名なクープラン一族の音楽家です。

 有名なわりに、生涯に関する情報が少なく、23歳ころまでのことは、ほとんど、わかっていません。

 パリから南東に50kmほど離れたショーム・アン・プリで誕生したとされますが、当地の出生簿が、1月から10月まで失われているので、日にちまではわからないそうです。

 1650年か51年の7月25日(聖ヤコブの祝日)に、ルイをはじめとするクープラン三兄弟と数人の友人が、シャンボニエールが彼の館で祝宴を催してたところに来て演奏を披露、才能を認め、パリに来るように誘った。 51年の、8月12日には、パリにいたことが記されています。

 1653年4月9日に、パリのサン・ジェルヴェ教会のオルガニストに就任、ここから、永くクープラン一族がこの地位を維持することになる。 また、宮廷楽団では、ドュシュ・ド・ヴィオール(高音用のヴィオラ・ダ・ガンバ)奏者の地位にあった。

 1661年8月29日パリにて死去、35歳であった。

 生前、作品を出版することはなく、いくつかの手稿譜によって伝えられており、中には、ルイの作とは疑わしいものもある。

 

 

 

 

 では、何曲かどうぞ。

 

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 Mieczysław Karłowicz(1876-1909)生誕150年です。

 近代ポーランドの中で、シマノフスキ以上に期待されていた作曲家です。

 ヴィリニュス(現リトアニア)の大貴族の家系に生まれる。 主にドイツ語圏で少年時代を過ごし、ワルシャワでヴァイオリンを学びはじめるが、体力的な問題で断念。 1894年からワルシャワでノスコフスキに、1895年から1901年までベルリンでハインリヒ・ウルバンに作曲を師事。 1906年から07年まで、アルトゥール・ニキシュに指揮を師事する。その後、帰国するがポーランドの停滞した音楽界に嫌気がさし、タトラ山脈中の小都市ザコパネに移住、亡くなるまで住んだ。 1909年2月8日、タトラ山中にスキー遠征中に雪崩にあい死去。

 主に、ドイツで学んだ上、自身のスタイルが叙情的主題と、半音階的手法、そして、色彩的な管弦楽法だったため、長生きしていれば、ポーランド発の後期ロマン派作曲家として、大成したことは間違いないでしょう。

 

では、交響詩「白孔雀に寄せる音楽(交響的プロローグと間奏曲) Op. 6」を^^b

 

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  チャー 本名竹中尚人。 今の知名度はどのくらいなんでしょうか? プロ・デビュー50周年です。

 1970年代から、当時の日本ではめずらしいロック・ギタリストとして活躍してきた人です。 

 11歳のころからバンドを組んで活躍してたんですが、まだ、アマチュアだった13歳のころに、すでにプロデビューの話があって、ただ、ギターの弾き語りという条件だったので、断ったそうです。 ミュージシャンとしての初仕事は、1974年に、「ロック完全マスター」というギター教本用の音源録音で、エリック・クラプトンのコピーなんかもしたそうです。

 1976年に、ソロとして正式デビュー。 シングル「NAVY BLUE]をリリース。しばらくは、職業作曲家による曲で、歌謡曲のようなスタイルで活動。 当時についてCHAR本人は、「ロックがマイナーだったため、歌謡曲路線で知名度を上げようと思った。」と述懐している。 デビューしてしばらくは、TV出演の際、バンドではなく本人だけで、伴奏はジャズバンドでしてほしいと言われるなど、かなり苦労したようです。

 それでも、1980年代に入るころから、順調になっていき、結成していた3ピースバンド「ジョニー・ルイス&チャー(後にPINK CLAUDと改名)」で、精力的にツアー録音を行う。 また、ギタリスト石田長生とのデュオ「バホ(馬保)」も結成、ユーモラスかつ超絶的なテクニックが、特にライヴで大好評となる。 この頃には、ロック好きには有名な存在となり、洋楽ファンを中心に人気を博し、バンド、サイケデリックス結成やジェフ・ベックとのセッション、ソロ活動と精力的に行い、現在に至る。

 

 音楽スタイルとしては、なかなかおもしろい人で、ブルース・ロックが基本なんだけど、ポップな音やフュージョン的なものも普通に弾く人で、いわゆるヴィンテージ・ロック的なイメージを持つと肩透かしを食らいます。 では2曲ほど。

 

歌謡曲路線のヒット曲の1つです。

 

バホで、スティーリー・ダンのカバー。ちなみにバホと言うのは、大阪と東京出身の二人なので、馬鹿と阿呆を組み合わせた名前です。  

 

ついでにオリジナルも。

 

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 Francesco Cavalli(1602-1676)没後350年です。

 イタリア・オペラの歴史の中での重要人物の1人だそうです。

 イタリアのロンバルディア州クレーマ生まれ。 1616年、ヴェネツィア聖マルコ大寺院の聖歌隊の加わり、1639年、同寺院の第2オルガン奏者、1665年には、第1オルガン奏者、1668年からは、学長に就任した経歴を持つが、音楽史の中では、もっぱら、オペラ作曲家として評価される。 ヴェネツィアの公設歌劇場のために、約30年間作品を提供し続けたただ1人の作曲家として、イタリア・オペラ発展に大きな影響を与えた。 

 作風としては、美しいメロディ、いくつかの効果的なパターンの採用などがあり、当時ならではの誇張されたばかげた部分もあるが、流麗な音楽、劇的な効果、後のイタリア・オペラにもあるグロテスクなユーモアなど、魅力的な作品を残しました。 伴奏は、当時の劇場の限界として、通奏低音と弦楽アンサンブルの小さい編成であった。

 

 

 

 では、いくつかのアリアを。

 

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 2026年1月11日、京都競馬場で行われた淀短距離ステークス(1200m)で、武豊騎手騎乗のヤブサメ(牡5歳)が勝ちました。

 リステッド競走と言うオープン特別とGⅢの間のカテゴリーですが、ゆっくりと着実に力をつけて来ての勝利で、ここ3戦は武豊ジョッキー騎乗なので、お手馬になりそうです。 スプリンターでは数少ない、後方から一気に抜き去る戦法で、今回は、上がり3ハロン33.3秒でしたが、過去2戦は32秒台とケタ違いの瞬発力を持ちます。 血統を見ると、父がファインニードルで、春秋スプリント戦勝利(高松宮記念、スプリンターズ・ステークス)をしているのと、スプリンターなのに、スタミナ血統だらけなんです。 おそらく、豊富なスタミナをスピードに変える馬のようです(マルゼンスキーがそうだった)。 去年は似たような戦法のジューンブレアに乗っていたので、今年の武豊ジョッキーは、スプリンターに縁がありそうです。 今から、高松宮記念(中京1200mGⅠ)が楽しみです。

 

このリンクの中の、PLAYと書いた緑のボタンを押すと、レース動画が見れます。

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