タケさんのブログ クラシック時々ポピュラー -7ページ目

タケさんのブログ クラシック時々ポピュラー

クラシックを中心に、ポピュラーや民族音楽なども(少し)紹介してます。
レアなものや変わったものも多いので、良ければ見てやってください。

 

 Hans Werner Henze(1926-2012)生誕100年です。

 20世紀ドイツの、重要な作曲家の1人です。

 

 現在の、ノルドライン=ヴェストファーレン州のギュースターロー生まれ。 父は教師であった。 父親がヘンツェの音楽的才能を見つけ、1942年から、ブラウンシュバイク州立音楽学校で、ピアノ、打楽器、音楽理論を学び始める。 1944年には徴兵されるが、戦後、1945年から、ビーレフェルト市立歌劇場の伴奏者として活動しながらハイデルベルク大学で、作曲家ウォルフガング・フォルトナ―の下で勉学を続行。

 1946年には、ピアノ、フルート、弦楽のための作品で注目され、ダルムシュタット夏季現代音楽講習会にも参加。 1947年からは、セリー技法を取り入れる。 1950年から、ヘッセン歌劇場のバレエ指揮者となり、作曲家も並行して行う。 

 1953年より、イタリアへ移住。 ドイツの政情への不満と、出版社の、作曲への専念するという条件で、印税の前払いをする条件もあった。 その後は、精力的な作曲活動と、いくつかの教育活動もおこなうが、急進的な新左翼な信条のため、積極的に各方面に紹介されなかったうらみはある。

 1961年より、ローマ近郊の人里離れた丘の上のラ・レブララに移住、2012年没、亡くなったのはドレスデンであった。

 作風は、十二音技法→セリー技法から、従来の調性音楽も合わせたものに変わっていきました。 それでも、ドイツ的なシリアスで難解な作風であることは、変わらないようです。

 

 とりあえず、交響曲第8番第1楽章を。

 

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 結成40年を迎えるアカペラ・ヴォーカル・グループです。

 日本で、ジワジワと、アカペラのブームが来ていた時に、日本のフォーライフ・レーベルから本邦デビューしたグループで、1986年に、アメリカのロードアイランド州プロヴィデンスにあるブラウン大学の、アカペラ・サークルのメンバーで結成されました。

 最初は4人組で、現在は5人組で活動中です。 声以外は、パーカッションしか使わない、一番スタンダードなスタイルで、かなりポップなところが特徴です。 メンバーが作曲できることも魅力ですね。

 海外のカバーやオリジナルと、J・ポップのカバーの2枚のアルバムで、日本デビューしています。 今年1年かけて、いろいろ紹介しますね(^_-)-☆

 

 海外のアカペラのコンピレーション・アルバムにも入っていた代表曲です。 ゾンビが集会(ジャンボリー)を開いて、騒ぎまくり踊りまくるって内容です。 おもこわぁ~~~~~~~(笑)

 

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 Edward Benjamin Britten, Baron Britten(1913-1976)没後50年です。

 20世紀イギリスを代表する作曲家です。

 

 サフォーク州港町ローストフト生まれ。歯医者を父に持ち、母は、アマチュアのソプラノ歌手であった。

 2歳でピアノに興味を持ち、7歳から習い始める。 また、ヴィオラも習い始め、5歳で歌曲、7歳でピアノ曲を作曲。 9歳では、弦楽四重奏曲を作曲するなど早熟の天才だった。

 1924年、10歳の時、フランク・ブリッジの交響組曲「海」を聴いて感銘を受け、ブリッジと会う機会も得られた。 ブリッジは、ブリテンの才能を認め、本格的な指導をはじめ、1928年には、ブリッジのロンドンの自宅に招いてレッスンを始めた。 この時、基礎的な音楽理論や、和声法、対位法などの厳しいレッスンをした。

 1930年、奨学金を得てロンドン王立音楽大学入学、ジョン・アイアランドと、アーサー・ベンジャミンに師事。 マーラー、シェーンベルク、ベルク、ストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチなど、後期ロマン派から同時代の作曲家に興味を持ち影響を受ける。 1934年に卒業すると、父が他界したこともあり、自活のため、1935年GPSフィルム・ユニット社に入社、1936年まで務める。 

 1937年に、「フランク・ブリッジの主題による変奏曲を作曲、これが世界的に評価され、作曲家として脚光を浴びる。 その後は、世界的作曲家として活躍し、指揮業にも乗り出して人気となる。 1948年には、オールドバラ音楽祭をはじめ、その会場のモールティングスで録音された音源は、名盤としてのこっているものが多いです。

 第二次世界大戦中、兵役拒否のため数年間アメリカに移住したほかは、イギリスに住み、1942年からは、オールドバラに住み活動。 1976年、同地で没。

 作風は、調性があるのが基本ですが、20世紀的なものも取り込んで、親しみやすいものが多いです。

 

 では、代表曲の1つ、「シンプル・シンフォニー」を。

 

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 Hyacinthe Jadin(1776-1800)生誕250年です。 18世紀フランスで、古典派からロマン派への橋渡しをした数少ない作曲家です。

 

 パリの南西約20kmのヴェルサイユ生まれ。父は宮廷楽団員、叔父は、作曲家と言う音楽家一族であった。 後に作曲家となる、兄ルイ・エマニュエルにピアノを習った後、ニコラ・ジョセフ・ユルマンデルに教育を受け、フォルテピアノ奏者として活躍、作曲家としても13歳の時、自作がコンセール・スピリテュエルで演奏された。 

 1795年から、パリ音楽院の女子クラスを担当。 同時に、フランス革命用の愛国歌や軍歌を吹奏楽用に作曲したことで、吹奏楽の発展にも寄与したとされる。

 結核により、23歳の若さで夭折。

 

 最初に書いたように、古典派に、そこはかとなくロマンの香りを漂わせ、評論家などからは、シューベルトを予感させるものがあると、言われています。 クラシック音楽好きなら、ハートを射止められるひとは、多そうです。

 

 

 

 では、ピアノ・ソナタ作品4-2を。 シュトルム・ウント・ドラング風の第1楽章や、メヌエットにしては分厚い響きなど、過渡期の魅力いっぱいです。

 

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 ※写真だけ見るとただの変人だよな(これこれ!w

 

 Morton Feldman(1926-1987)生誕100年です。 静謐な響きが長く続く、独得の作風で知られています。

 ニューヨーク生まれで、Madame Maurina-Pressにピアノを習う。 ワリングフォード・リーガーとシュテファン・ヴォルペに作曲を師事。 2人とも、無調や20世紀音楽のスタイルであった。 この頃からすでに作曲を始める。 

 1950年に、ニューヨーク・フィルの演奏会でベルクの「交響曲」を聴きに行った際、ジョン・ケージと出会い強く影響を受ける。 その結果、機能和声や十二音技法などから離れた作風を探るようになり、ただ、一定時間にいくつかの音符を演奏するような楽譜などを書くようになった。 その最たるものが、図形楽譜で、音符ではなく図形や線などで表されたものを、演奏者のセンスで音楽にするものであった。 前衛音楽界隈では大絶賛され、そこから、いくつかの手法も見出されたが、フェルドマン自身は、「演奏家によって勝手に解釈されて、自分の意図したものではなくなる。」として。1970年代以降は、使わなくなる。

 その後も、自身のスタイルの探求を続けるが、少なくとも、1986年には、膵癌に侵されており、1987年9月3日、ニューヨーク州バッファローの自宅で死去。

 作風は、いくつかの変遷があります。 そもそも、新古典派や20世紀音楽を推進する作曲家、音楽家に師事しただけあって、無調や十二音音楽から始めたと思われます。 その後、あの(笑)ジョン・ケージに影響を受けただけあって、従来の音楽からは離れた自由な作風になります。 ただ、美しい響きや魅力的なリズムなどは、失われていないようです。 相当マニアックなクラシック音楽ファンしか知らない人なので、興味ない人は、「こんな人いるのね。」で、いいと思います。

 

 では、弦楽四重奏曲第2番のトラック1を。単一楽章で、全曲は5時間ぐらいかかります。

 

 

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 今回は、40年前の1986年の、ブラック系の一発屋的だけど忘れるのには惜しい曲を2曲紹介します。

 

 まずは、ビリー・オーシャンのゲット・タフ(When the Going Gets Tough, The Tough Get Going)。 トリニダード・トバゴ生まれでイギリスで活躍する人で、1976年デビュー。 ヒットを連発しだしたのは’84年からで、ゲット・タフは、映画「ナイルの宝石」に使われてアメリカでは2位どまりでしたが、ヨーロッパでは、1位になった国が多くありました。 真正のブラコンというよりは、ポップでキャッチ―な曲です。 

 

 もう1つは、グレゴリー・アボットのシェイク・ユー・ダウン(Shake You Down)。 この人は、アメリカはニューヨーク、ハーレム生まれで、ポピュラー系ミュージシャンにはよくある経歴です。 歌手としてデビューしますが、独立系レーベルの仕事で、ホイットニー・ヒューストンとデュエットするチャンスを得たほかは、プロデューサーなどをしていましたが、この曲を含むアルバムでデビュー。 これは、ビルボードで1位を取ったんですが、その後、5枚のアルバムと5枚のシングルをリリースしますが、ヒットせず、地道に活動を続けています。 

 2曲とも、R&B系として十分いい曲だと思います。 一発屋だろうが何だろうが、いいものはいい、と、言うことで。

 

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 Klaus Hermann Wilhelm Tennstedt(1926-1988)生誕100年です。

 ドイツ生まれで、個性的な魅力でファンの多かった指揮者です。

 後に、東ドイツ領となるメルゼブルク生まれ。 父親がヴァイオリニストで、同じようにライプツィヒ音楽院でヴァイオリンを専攻し、1948年に、ハレ歌劇場のコンサートマスターとなるが、指の故障(骨瘤)のため、1952年に同歌劇場の指揮者に転身。

 その後、東ドイツ内のオペラ座の指揮者を歴任するが、1971年、夫婦でスウェーデンのヨーテボリに客演した際、亡命。 1972年からは、ドイツ北部のキール歌劇場の音楽監督となる。 同時に様々なオーケストラに客演をするようになる。 特に、アメリカ、イギリスで人気となり、アメリカのオーケストラに客演することが増えるが、1979年に北ドイツ放送響の音楽監督に就任。 しかし、これは、楽団員との確執が高まり2年で退任。 1983年から、ロンドン・フィルの音楽監督になってから、世界中で有名になる。 特に、ドイツ=オーストリア系のレパートリーで、絶大な人気を誇り、マーラーの交響曲などは、リリースされるたびに、話題となるほどであった。 

 しかし、1985年、咽頭がんにかかり、治療を続けながら活動をしていたが、1987年、ロンドン・フィルの音楽監督を辞任。 体調がいい時は、客演を続けたが、1993年には、事実上の引退状態となり、1998年1月11日に亡くなる。

 「フルトヴェングラーをほうふつとさせる。」と、ロンドンの批評家に言わせるほど、魅力的な演奏スタイルで、特に、仕事として指揮者の要求に答えようとするアメリカ、ロンドンのオーケストラと相性が良かった。 今聴いても、非常に魅力的です。

 

 では、ムソルグスキーの「禿山の一夜」を。 内容としては、後期ロマン派的なものもあるこの作品に、そういったスタイルで演奏しています。 クラシック好きなら、「さすがテンシュテット!」と、喜ぶこと間違いなし。

 

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 Manuel de Falla(1576-1946)生誕150年です。

 スペイン近代音楽の代表的作曲家です。

 スペイン南東端のカディス生まれ。 早くから音楽の才能を示し、母や地元の音楽家からピアノや作曲を習った。 時期は不明ながら音楽学校に入学している。 地元のパトロンに懇意にしてもらっていたようで、15歳の時に文学とジャーナリズムに興味を持った時は、文学誌「エルブルン」「エスカルカベル」を創刊。 そのパトロン、サルバドール・ビニエグラには、1897年「チェロとピアノ曲」を献呈している。 1899年には、地元の音楽学校でピアノで1位を取る。

 1900年には、家族でマドリードに移住、マドリード音楽院に入学して、ホセ・トラゴにピアノ、フェリぺ・ペドレルに作曲を師事。 その後、ピアノ教師をしながら作品を発表しはじめ、オペラ「はかなき人生」で、王立アカデミーの歌劇賞を受賞し、作曲家として認められる。

 1907年から14年までパリに在住。 ドビュッシー、ラヴェル、デュカス、アルベニスらと親交を持ち、ラヴェルやストラヴィンスキーがいた芸術サークル「アパッシュ」にも参加。 

 1914年、第一次世界大戦勃発により帰国、マドリードに居を構え、「スペインの夜の庭」2つのバレエ曲「三角帽子」「恋は魔術師」、歌曲集「7つのスペイン民謡」などの代表作を作曲。 1921年からは、グラナダで隠遁生活を始める。 1936年から始まったスペイン内戦の影響で、親友が殺されたことなどにより、1939年、アルゼンチンに亡命。 スペインには帰ることなく、1946年アルゼンチンのコルドバで没。

 スペインの作曲家で、一番知名度がある人でしょう。 「三角帽子」や「恋は魔術師」などは、クラシック音楽が好きなら、1度は聴いたことがあるはず。 スペイン固有の音楽を取り入れたのは、ペドレルからの影響で、ペドレルはスペイン音楽の研究家だったことで有名です。 そこに、フランス近代のスタイルを取り込んでいきました。 その、近代的で生き生きとした音楽は、今もたくさんの人をとりこにしています。

 

では、代表曲「火祭りの踊り」をスペイン人指揮者で。

 

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 Walter  Piston(1894-1976)没後50年です。

 20世紀アメリカの作曲家。

 メイン州ロックランド生まれ。 1905年に家族でボストンに移住。 同地の工業高校でエンジニアとしての教育を受けるが、芸術を志すようになり同高校卒業後、1912年、マサチューセッツ芸術大学入学、美術を専攻。 ただ、ハリス・ショーという人にピアノを学んだことから、10代から、ダンスバンドで、ピアノやヴァイオリンを演奏して自活するようになる。 1920年に、ハーヴァード大学に入学、対位法、カノンとフーガ、作曲と音楽史、上級和声法を履修。 同大学の助手を務めるようになり、学生オーケストラの指揮もするようになる。 同大学を最優等で卒業すると、奨学金を得て、パリに留学、1924年から26年まで、エコールノルマル音楽院で、エネスコにヴァイオリン、デュカスとナディア・ブーランジェに作曲を師事。 1926年に、アメリカに帰国後は、ハーヴァード大学で教鞭をとりながら作曲活動を続け、ラジオ向けやボストン・ポップス・オーケストラや様々な団体、基金からの委嘱で作品を発表もした。 1976年11月12日、マサチューセッツ州ベルモントにて、心臓発作のため没。

 作曲スタイルとしては、調性を保っていたので、穏健派的イメージです。 コープランドあたりと同じですね。 フランスで学んでいるので、そういう匂いはします。 でも、アメリカ独自の作風です。

 

 

では、2曲ほど。

 

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 結成40周年です。 と、言っても1年間限定の活動でしたが。

 サザンオールスターズの、メンバーであり桑田佳祐の妻の原由子が、産休のためサザンが活動休止中に、活動したバンドです。 サザンからは1人だけで、後はサポート・メンバーなどで構成。 サザンとは違うコンセプトで活動したかったのが、理由の1つ。 歌詞を全部英語にすることも、目的だったようです。

 1986年1月結成で、ちょうど1年の1987年1月に解散。 シングル4つ、スタジオ・アルバム1つ、ライヴ・アルバム1つを残しました。 なかなか、SNSで音源が解禁されませんでしたが、2016年に、桑田が還暦になったのを機にyoutubeで解禁されました。

 結果的には、シングルは、サザンとそんなに変わりませんが、アルバムのほうは、全歌詞英語で、かなり、イメージは変わります。

 

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  では、デビュー・シングルを。