カレル・アンチェル | タケさんのブログ クラシック時々ポピュラー&グルメ、観光

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クラシックを中心に、ポピュラーや民族音楽なども(少し)紹介してます。
レアなものや変わったものも多いので、良ければ見てやってください。

 Karel Ančerl(1908-1973)没後50年です。

 チェコの南ボヘミア地方トゥカピの、酒造業者の息子として生まれる。 プラハ音楽院で、アロイス・ハーバ(四文音の作曲家として有名)に作曲を、ヴァーツラフ・ターリヒに指揮を師事する。 自作を指揮するために、チェコフィルの指揮台に立ったこともあるが、指揮者となるきっかけは、1929年、ミュンヘン現代音楽祭で、師ハーバの作品を、シェルヘンが指揮したときに、アシスタントとして加わったことで、才能を認められたことによる。 1933年に、プラハ交響楽団の音楽監督になるが、ユダヤ系だったため、ナチス・ドイツが、チェコを支配下に置いた1939年、プラハ響を追われ、家族ともども、テレジーンの強制収容所送りになる。 後に、アウシュビッツ収容所に送られ、妻と息子は、ガス室の犠牲になるが、生還する。 1950年、クーベリックが、チェコのソ連衛星国化に反対し、チェコ・フィルを辞任したことにより、首席指揮者となる。 弱体化したチェコ・フィルを、熱心に指導して、ターリヒ以来のレベルに持ち直すことに成功。 しかし、1968年、チェコ(スロバキア)への、ソ連軍を中心とするワルシャワ条約機構軍の介入により帰国不可能となり、カナダに亡命、トロント交響楽団の音楽監督となるが、1973年、肝臓病と糖尿病のために死去。

 20世紀の政治体制の変遷の犠牲になり、不遇な時期の多い人でしたが、引き締まったアンサンブルから、芸術的な香りを振りまくスタイルは、今でも愛されていて、たくさんの音源が、リイシューされ、流通しています。 弟子に、ズデニェク・コシュラー、イルジー・コウトらがいます。

 

1月らしく、「新世界より」を。 ’61年録音で、レベル的には、アンチェルじゃないと、ここまでの演奏は、できなさそうなレベルです。

 

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