【ろう文化と聴文化の違い】 | 障がいのあるなしに関係なく、愛と優しさのある世界で生きる❤

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どうぞご参考にしてくださいませ✨

私も補聴器を外すと全く聞こえないので、
手話を勉強し始めて、「ろう者が感じている世界を体験してみよう」と思い、補聴器を外して外出することもあります🌸
最初は、補聴器を外して外出するって、危ない、車が来たら気付けないって思い、すごく抵抗がありました😅

でも、ろう者の方々が、世界をどう感じているのか、「ろう文化」や「手話」という世界を、「感覚的に理解する」ことができたらいいなぁと思いました☺️

全く聞こえない世界で感じたのは、「あ、音って『重さ』を感じやすいものだから、『音がない世界』=『絵画を眺めるような世界(モノや人の重さがつかみにくい)んだなぁ」と気づきました👀✨

だから、手話も、「一つのアニメーションのように、手の動きの軌跡を感じやすい」ように思います⭐️
アニメって、たくさんの絵を描いて、パラパラ、めくると一連の動きを作りますよね😃
あんな感じて、「動きの残像を見る感覚」が研ぎ澄まされてる気がするのです✨✨

補聴器をして、音や声を聞いてしまうと、自然と私もそこまでモノや人の動きの細かい特徴をとらえようとはしてないのだと感じました🍀
それだけ普段の生活で、「聴覚」をいかに使っていて、多くの情報を得ていたのか、気付かされた気分です😳

そして、楽器を演奏する時も、
「リズムがつかみにくい」と感じていましたが、
「4分の1の拍子で演奏しましょう」と言われても、なかなか「感覚をつかむ」のが難しいと感じていたのも、
日々の生活の中で、「聞こえてきた音からリズムを感じる」という経験ができなかったからなのだと思いました🤔

ちなみに、音楽をやっている人や音楽家の頭の中は、「聞こえてきた音で楽譜を思い浮かべる」というのがあるようです🤔
雨の音から、楽譜をイメージしたり、、、

私の頭の中は、今は、
「日本語の文章(日本語の声ではない)→それになぞって日本語の自分の声が頭の中でリピート→日本語の手話の映像が思い浮かぶ→その後に英語の文章、英会話の自分の声やアメリカ手話の映像が思い浮かぶ」
こんな感じかなぁと思います🌸

私は、日本語は、音からではなく、たくさん本を読んで、文章から覚えたからです😊
その文章に当てはめて、日本語の発音を練習する感じでした🌼
その後に、手話や英語や英会話などを勉強したので、この順番で頭の中でリピートされる感じです🙌
ちなみにフランス語やスペイン語も勉強したけど、日常の中で「思い出す」ことがないから、ほとんど忘れてしまいました😂(笑)

一方、聞こえる方々は、「音から日本語を習得」→その後に「平仮名や漢字を勉強して文章を覚える」ことをしてるし、、、Σ੧(❛□❛✿)

そういう中で育んだ「感覚」が、「聴文化」を作っていて、、、
「目には見えないけど察する」という「感覚」を聴者は育んでいくのだと、今更のように気付かされました❣️😳

だから、ろう者の方々の言い方が「ストレートに感じる」って思うのは、育ってきた感覚が違うからなんだなぁと思いました🌸
「察する」って、目に見えないものに対して磨かれる能力ですものね👀

この本でも、私が実際に体験したことでも、
ろう者同士の付き合いでは、「トイレ行ってきます」とか、「どうして席を立ったのか?」を、自然と言っていたような気もします🤔
手話で会話している最中だから、ずっと目線は私にあるし、目線を逸らす理由を伝えるのがむしろ自然という感じかなぁ?

聞こえる人の飲み会では、何も言わずにトイレに行くことが多い、、、いや、むしろ全く言わないのが自然だったと思います😅

だから、家の中でも、席を立ったら行き先を伝えるという感覚も理解できるって思いました👀

聴覚が人間に与える影響、感覚の違いに気づくと面白い、奥が深いって思います✨✨