私はお仕事でも、プライベートでも、手話通訳士の手話を目にすることがあります。
しかし、違和感を感じてしまうことが多いんですよね、、、
理由は、「音声日本語」と「手話」が一致していないように感じるから
音声日本語の意味を掴んで、手話に翻訳していくというのが手話通訳なので、、、
英語などの外国語と同じように、元の言語とは、細かいニュアンスなどが、どうしてもズレてきますよね
私は、音声日本語も、ある程度聞こえてくるので、
「時間に追われるような日々」と聞こえた時、
手話が「忙しい日々」と表現されているのを見ると、、、
「時間に追われる」の方が、話し手の心情がよくわかる気がするのに、
「忙しい」に軽くまとめられちゃった感があります
たしかに「時間に追われる」って、手話だと、
「時間」+「追われる」だから、音声日本語が聞こえていないろう者の方々にはわかりにくいのかも、、、
私には、「時間」+「追われる」の方が、
「ん?今、何に追われるって言っていたのかなぁ?」と思った時に、
「時間」と手話で表現されていると、
「あ!なるほど!時間に追われているのね!」
等と気づけたりします
これは、中途失聴・難聴者だからでしょうね
手話通訳は、音声日本語で聞こえなかった箇所を補完するように見ているから
しかし、ろう者の手話(特に日本手話)を見ると、
顔の表情やしぐさ振る舞いも豊かだし、
そんな違和感は感じないんですよね
ホントに彼らの言語でお話しているって感じ
私は、「赤毛のアン」「ハリーポッター」などの外国語の本も、原書で読むようにしておりますが、、、
日本語に翻訳すると、やはり翻訳者のセンスが出てきているから、それはそれで楽しいけど、
原書で読むと、著者の微細な感覚による言葉のチョイスがわかったりしますね
たまーに、音声日本語の雰囲気を、完璧に近い感じで伝えられる手話通訳士の方に出会うと、
手話のチョイスとかうまいなぁって感心しちゃいます