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永谷園と山本山の関係
【京都府内北から南へ縦断調べてみた~】
31日目は、宇治田原町です。
↑赤いところです。
『ハート型』の町、宇治田原町。
何が『ハート型』かって、地図を見てもらえば『ハート』に似てなくもないということで
宇治田原町は”宇治”と名が付くだけあって、お茶の生産地としても有名です。
そして、実は煎茶発祥の地でもあるのです。
江戸時代の中期頃、永谷宗円(ながたにそうえん)という人物が宇治田原町で茶業を営んでいました。
それまでのお茶は、摘み取った新芽を加熱処理して乾燥させていたので、色が黒くなってしまっていました。
永谷宗円は、乾燥させる前に『揉む』工程を入れ、現在のような緑色にする製法を開発。
これを青製煎茶製法(あおせいせんちゃせいほう)といいます。
しかし、この煎茶。
なかなか世の中には受け入れられませんでした。
そんな時、江戸の日本橋の茶商・山本嘉兵衛がこの煎茶を飲んだところ、その味に感服
煎茶に「天下一」と名付けて販売すると、たちまち大評判になりました。
その山本嘉兵衛のお店が、上から読んでもヤマモトヤマ・下から読んでもヤマモトヤマの「山本山」。
そして、永谷宗円の子孫が「永谷園」を創業。
現在でも創業を続ける2つの会社は、江戸時代に運命的な出会いをしたのでした
北から南へ縦断しながら書いております。
本日は「宇治田原町」。
明日は「精華町」。
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