鹿児島で静養していた西郷菊次郎。
二代目の京都市長に菊次郎を推したのは、初代・内貴甚三郎でした。
当時の京都市は、道路が狭く、水道の完備もまだまだであったため
街づくりの課題が数多く残っていました。
明治維新以降に誕生した新しい都市と比べても、かなり劣って
いましたが、整備するには膨大なお金が必要になってきます。
そこで、目をつけたのが西郷隆盛の長男である菊次郎。
薩摩とのつながりがあり、工事計画の認可や予算獲得まで力を
発揮してくれるのではと見込んでのことでした。
菊次郎は、甚三郎の期待に応えて、・第二琵琶湖疏水 ・上水道の
整備 ・道路の拡大 という三大事業を成し遂げます
これにはアメリカでの留学体験が役立ったといわれています。
この功績が認められ、2期目を担うことになったのですが、その矢先
突然体調をくずし、市長を辞任。
しかし、安心して辞任できた背景には、事業が順調に展開していた
ということが分かります。
現在、国内外からの観光客を迎える大都市となったのは、
その事業の上に成り立っているのかもしれませんね
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