前回までのお話は↓から。
※フィクションの部分もあります。あと、現代の言葉を使っています。
ご了承下さい。
与謝蕪村の娘・くの物語<5>
いい年して芸妓さんにのめり込んでしまったおっ父でしたが、俳諧にしても絵にしても、代表作は晩年のものが多かったようで、これが『芸の肥やし』になったのでしょうか。 それはそれで、複雑な気分ですが・・・。
それから少しして、ある春の日。おっ父とおっ母と私は嵯峨にお花見に行きました。 菜の花の時期は過ぎていましたが、いいお天気の穏やかな日でした。
でも、この穏やかな日が、3人で出掛けた最後でした。 その年の秋、おっ父は病の床につきました。 そして、暮れに病状は悪化。 お正月を迎えることなく、おっ父は逝ってしまいました。 最期の最期までおっ父の心配は、私とおっ母のことでした。
白梅に 明くる夜ばかりと なりにけり
冬も終わり、ほころび始めた白梅の花が闇から浮かび上がるように、もうすぐ夜明けを迎えそうだ。
これが辞世の句でした。 まだ年も明けていないけれど、おっ父にとってはきっと春が待ち遠しかったのでしょう。 そして、残していく私とおっ母にも、いつか春が訪れるように幸せに過ごしてほしいという意味が込められていたのかもしれません。
おっ父の溺愛ぶりが、時には重荷に感じることもありましたが、今から考えると、おっ父なりの愛情だったのだと思います。
それから1年。 私はおっ父のお弟子さんの口添えで、再婚することが決まりました。
おっ父。 おっ父がこれ以上心配しないように、今度こそ幸せになるから。 見守っていて下さいね。
おっ父と私が大好きな菜の花の時期に嫁ぎます。