先日、天橋立研修旅行に行った際に、一つの百人一首が
話題になりました。
大江山 いく野の道の 遠ければ
まだふみも見ず 天橋立
聞いたことがある人は多いと思います。
和泉式部の娘である小式部内侍の歌です。
実は、この一句には様々な情景が詠まれていることを
ご存じでしょうか
まず、第一に言葉の意味です。
「大江山」とは、今の亀岡市と京都市の境にある老ノ坂峠のこと。
鬼退治で有名な、京都北部の大江山とは違うと考えられています。
そして、「いく野の道」とは、現在の福知山市にある地名と、「行く」と
いう言葉を掛けています。
「遠ければ」とは、もちろん「遠いので」という意味。
「まだふみも見ず」とは、「文を見ていない」というのと、
「踏み入れたことがない」という言葉が掛けられています。
そして、第二に詠まれた状況です。
当時、小式部内侍は非常に歌が上手いと評判でした。
しかし、あまりにも上手いので母親である和泉式部が
ゴーストライターをしているのではないかと噂されていました。
和泉式部が丹後で出かけている時に、小式部内侍は歌会に
呼ばれます。
そこで、こう嫌味を言われるのです。
「歌会で詠まれる歌はどうするのですか?お母さんが
いらっしゃる丹後には手紙を出されて、返事がきたのですか?」と。
そこで、小式部内侍が詠んだ歌こそ、大江山~なんです。
ということで、今までのことを踏まえた上で現代語訳してみましょう。
大江山や生野を越えて丹後国へ行く道のりは
はるかに遠いですから、天橋立もまだこの足で
踏んでみたことはありませんし、母からの文も
まだ届いていません。
こんな歌をサラリと即興で詠み、噂がデタラメであることを証明した
若き女流歌人。
カッコイイですよねぇ
ちなみに、その嫌味を言ったのは、藤原定頼。
お父様は、歌人として有名な藤原公任です。
当時、和歌を詠みかけられたら、即座に返歌するのがマナー。
しかし、あまりのことにうろたえた定頼は、返歌もできず
小式部内侍のもとから逃げ出したということです