久しぶりに、『京は何の日』です。
1221年6月10日。
源頼朝の正室・北条政子は、後鳥羽上皇挙兵の知らせをうけ、
鎌倉で名演説をした日です。
上皇の挙兵の知らせを聞いた御家人達は動揺。
その動揺を静めるために、政子はこう演説をしました。
「故右大将(頼朝)の恩は山よりも高く、海よりも深い、
逆臣の讒言(ざんげん)により不義の綸旨が下された。
秀康・胤義(上皇の近臣)を討って、三代将軍(実朝)の遺跡を
全うせよ。ただし、院に参じたい者は直ちに申し出て参じるがよい」
この演説により、御家人らは一致団結し、京へ攻め上りました。
幕府軍は19万騎の大軍に膨れ上がり、これを予想していなかった
上皇は狼狽。
そして、降伏し隠岐島へ流されることになってしまったのです。