先の大戦・応仁の乱はもう古い!? | 京こね☆ニュース

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本日は終戦記念日。


もちろん、第二次世界大戦が終結した日なんですが、京都で「先の大戦」


といえば、「応仁の乱」と答えるというのも、ずいぶん有名になった話ですよね。


まあ、本当にそう答える京都人がいるのかどうかは不明ですが、


どうやら、この話はもう古いんだとかにひひ


少し前に放送されていた「秘密のケンミンSHOW」の京都編では


「応仁の乱」ではなく、「蛤御門の変」と答えるのが新しいというのですえっ


・・・・・私、初めて聞きましたよ汗


確かに、第二次世界大戦では京都の市街地は被害が少なかったため、


大規模な被害が出た「応仁の乱」が、先の大戦だと言われてきました。


でも、一部の人の意見によると、幕末の「鳥羽・伏見の戦い」や「戊申戦争」が


京都に破壊と混乱をもたらしたというのです。


「蛤御門の変」というのは、「鳥羽・伏見の戦い」の4年前に起こった


長州軍  VS  幕府軍(薩摩・会津)


の戦い。


御所の蛤御門付近で激戦したことから、この名前が付けられたのですが、


この戦いによって、市街地の約半分は焼失したとされています。


そうそう、この「蛤御門の変」が起こったのは、あの「池田屋事件」が発端。


その後は、近江屋での坂本龍馬の暗殺や、「鳥羽・伏見の戦い」など


確かに京都は動乱期の真っ只中にありました。


ということで、この変を「先の大戦」と挙げられるんでしょうねぇ。



まあ、「応仁の乱」は550年前、「蛤御門の変」は150年前という


どちらも、ふる~い話なんですけどあせる


しかし、戦争があったということではなく、その後どのようにして立ち直ってきたのかはてなマーク


それこそが重要だと思います。