稀にみる見頃を披露していた京都の桜も終盤にかかっている。
良寛の辞世の句と言われている「散る桜 残る桜も 散る桜」。

七本松通仁和寺街道角の立本寺。
二週間前に本堂前のシダレ桜を確認してから、
七本松通りからでも窺い知れるソメイヨシノを横目に、
さぞかし多くの花見客が境内を埋めていると思っていた。



散り桜は目立つものの、残っている桜も多いが、
誰一人確認できない境内、拍子抜け!










今年は京都の桜の名所が同時期に満開を迎えているので、











やはり知名度の高い観光地に分散されているのか?











こんな光景を独り占めできるとは、











よく見ると、

短冊に仏教による教えが標語のように書かれていて、

 

 

 

 

 

 

 

 

 


気が付かなかったが数枚も掛かっていた。






七本松通には日蓮宗のお寺が点在しているが、
最も密集しているのは寺之内界隈。



豊臣秀吉の大規模の都市整備の命により、
裏千家も同じ時期にこの地に拠点を構えるが、
宗派は日蓮宗では無く、
千家、三家の菩提寺は禅宗の大徳寺聚光院らしい。









裏千家今日庵向かいの本法寺。











本堂前のソメイヨシノがまだ見頃を保っていた。

 

 

 

 



琳派の祖であり、
本阿弥光悦を輩出した「本阿弥家」の菩提寺で、
長谷川等伯とも縁のあるお寺。



現在公開中の等伯筆の大涅槃図、
光悦作の国指定名勝「巴の庭」等、
この時代の芸術家と深い係りのあるお寺。

 



小川通りを上がり東に入ると妙覺寺の大門。
こちらも日蓮宗、
織田信長京都での定宿所として知られているが、
日本絵画史上最大の狩野派の菩提寺で、
狩野元信や永徳らの墓も建立されている。


更に東に進み、
妙顕寺には個性的な庭園設けられている。
やはり琳派の尾形光琳と関りがあり、
尾形家は妙顕寺の檀家で、光琳の墓、光琳作の庭があった事から、
光琳曲水の庭、その他、龍華飛翔の庭、孟宗竹の坪庭など。



3月25日(土)からライトアップ公開されていて、
すでに境内に明かりが灯されていた。
しかし残念な事に明日4月5日(水)まで。

 

 


 

不思議な事にこの時代の大芸術家は概ね日蓮宗。
当時の法華経は新しい宗派で革新的である意味で過激、
今までにない新しいモノを生み出すバックボーンとして、
精神的に日蓮宗が大きく影響力を持っていたのだろう。
謎の多い俵屋宗達も確か日蓮宗、と聞いた事があった。



散る桜 残る桜も 散り桜