成長するにつれてだんだん祖父母に

会う機会も減ってきていたある日

 

 

 

 

 

救急車で運ばれて即入院になった。

 

 

 

 

という連絡が入った。

 

 

 

尿が出なくなってしまい、

動けなくなった。

 

 

とのこと。

 

 

すぐに検査したところ、

クレアチンの数値がとても悪く、

腎臓がかなり悪いことが分かった。

 

すぐに命の別状が~とかはなかったが、

数週間の入院が要になり、

今後の食事を気を付けなくてはいけなくなった。

 

 

そしてこの病気をきかっけに、

祖母の一人暮らしの生活について

考えるきっかけに。

 

毎日楽しく一人暮らしを楽しんでいる

とはいえ、祖母も80代の高齢で

日常生活に困難な部分も

少しずつ出てきている。ということで、

祖母の生活のお手伝いすることになった。

 

 

 

しかし、祖母が一番色々頼みやすい叔母は

県外在住ですぐに地元へ帰れない

 

 

父もその頃はまだ定年前でフルに働いていた

&色々気が付くタイプじゃない

 

 

母もその頃はまだ父との関係が微妙で

別居生活が始まってから数年しか経っておらず...

義母と嫁の関係も叔母がいる手前、

なんとな~く立場が弱かった母。

 

 

そこで、

 

 

地元に残っていて、平日休みがあり、

独身で時間もある私が一番都合が良く

動ける人間ということになり、

祖母の生活のお手伝いをし始めたのが

介護を手伝うきっかけになった泣き笑い

 

 

 

 

 

 

 

始めは、2週間に1回祖母の家を訪ねて、

買い物や掃除、溜まっていたら洗濯をする

程度のお手伝いから始まり、

 

 

その他は足腰が悪くなりつつあった

祖母だったけど、まだ歩けていたので、

一緒に色んなところへ行った!

 

 

時にはママ友軍団のコーラスの送迎をして

そのまま女子会にも参加したりして泣き笑い

 

 

子供の頃はあまり話さなかったのに

私も大人になって素直に甘えられる

ようになったからなのか、

今までの時間を取り戻すみたいに

祖母と沢山の時間を共有して、

沢山話しをした!

 

 

話しのネタは

 

・戦争の話し

・父の幼少期や昭和の暮らしについて

・祖母の若かった頃の話し

・ママ友軍団のあれこれ    

 

etc

 

 

話し出したら口が止まらない祖母の話しは

面白くて、ずっと聞いていると、

いつも帰る時間が遅くなってしまっていたあせる

 

 

 

「わ!もうこんな時間!!

また帰りが遅くなっちゃうがね!

帰り道ももちゃんが襲われんか

おばあちゃん心配だわ~」

 

 

と、毎回言われるのが決まりになっていて、

”おばあちゃんが話し止まらないからだよ~”

と、毎回思っていた笑い泣き

 

 

それ位、とにかく沢山色々な話しを聞いた。

 

 

 

特に祖母から聞く話しで「家族の歴史」の

話しは、私達は「家族」として

繋がっていることを強く感じたし、

 

 

全く違う人生を送っていた祖母と祖父が

出会ったから、叔母や父が生まれて、

その父が母と出会ったから私が産まれたのか。

 

 

というとっっても当たり前のことを

より深く、また違った視点で家族のことや

血の繋がりについて今まで以上に考えるようになった

 

 

 

 

 

つづく