前回のブログで少し触れたけど、

祖母の介護時の心境もせっかくだから

記録しておこうと思いました。

 

 

 

 

私の祖母は9人姉弟の長女で

がっつり戦争経験者の昭和4年生まれ95歳。

 

 

祖父と同情結婚して(笑)、

子共は長女と弟長男の2人。

 

 

長女夫婦は転勤で長年関東暮らし

弟長男夫婦は地元に残っている(私はこっち)

 

 

 

 

祖父が亡くなってからは

何十年も一人暮らしをしていた

 

 

元々友達が多い祖母は

地区の方々からの推薦で

老人会の会長も長年務めていた時期があり、

会長時代は色々な企画をして、

各地色々な場所へ体験ツアーや

温泉旅行などへよく行っていた新幹線

 

 

近所にずっと仲良くしているママ友も数名いて、

(何十年の付き合いのママ友なんだろう泣き笑い)

 

 

そのママ友軍団達とは

市の体操教室やコーラスサークルに入っており、

毎週コーラスサークルの帰りには、

スシローでランチをして、

近所の喫茶店で女子会をするのが

お決まりのコースコーヒー

 

 

とにかく友達や趣味が多く、

よく喋ってよく笑う祖母らしく、

祖父が亡くなってからも老後の

一人暮らし生活を謳歌していたように思う。

 

 

 

 

 

 

 

そんな祖母から見て私は

弟長男側の孫にあたり、一番最後の孫

 

 

初孫とは9年も差があって、

一通り、孫イベントが済んでから

産まれた私は祖父母のテンションが

低いことを子供ながらに気付いていた。笑

 

 

 

孫 <<< 趣味・老人会

 

 

みたいな。爆笑

 

 

 

祖父母からしたら私は娘側の孫じゃないし、

(祖母と叔母はとても仲良し親子)

親戚のお姉ちゃんと私の名前が似ているせいか

たまに名前を間違われたりしてアセアセ

 

 

親戚が遊びにくると、

親戚のお兄ちゃんお姉ちゃん達のが

すごく可愛がってもらっているようにも思えたタラー

 

(今考えたら、たまにしか会えないから。

ていうのもあったと思う...。)

 

 

 

だから私は勝手に

「自分は一番下の孫だしな、、」

と、孫劣等感を感じていて

祖父母に甘えるのを遠慮していた悲しい

 

(懐かない可愛くない孫だったかもタラー)

 

 

 

でも、今振り返って写真アルバムを見ると

子供の行事やお誕生日会には

必ず来てくれていたし、

自分に記憶がないだけで

抱っこしてもらっている写真が

たくさん残ってて、、

平等に愛情を注いでくれてたのだな。

と気付いた飛び出すハート

 

 

 

つづく