みなさんこんにちは。前回からの続きです。
先月中旬、頂いた連休で実に14年ぶりの韓国・ソウル周辺をひとり旅した際の道中記をお送りしています。

ソウル市内中心部「東大門歴史文化公園駅(동대문역사문화공원 Dongdaemun yeogsa munhwa gong-won yeog トンデムンヨッサムンファゴンウォンヨク、ソウル特別市中区)」駅から近い、「東横イン ソウル東大門1」に投宿したところです。

国内旅行では、全国展開している「東横イン」にはよくお世話になっています。そういったこともあり、レイアウトが国内のそれとまったく同じなことに、大変安心するのでした。
さて、早朝に大阪を発って仁川へ。その足でここソウルにやって来ましたので、少々疲れました。一服してから外出することにしています。
ありがたいことに「NHKワールドプレミアム」も受信しているのでした。

あたらしい朝ドラ「あんぱん」は、帰国してから10日ほどしてからはじまりました。

舞台は、昭和がはじまったばかりの高知・後免与(ごめんよ)町。モデルは高知市の東隣「後免(高知県南国市)」だとわかります。4月4日放送より。

代々、石材屋を営む朝田家の長女・のぶ(幼少期・永瀬ゆずなさん)が主人公。
父親の結太郎(加瀬亮さん)は家業を継がず、商事会社の一員として、国内外を飛び回る多忙な日々を過ごしていました。

「はちきん(高知方言で男勝り)」ののぶをいつも優しく見守るお父ちゃんが大好きなのぶは、久しぶりに結太郎に会えたのもつかの間、すぐに別の出張に行かねばならないゆえ、1ヶ月ほど会えないことがわかり、残念な様子。


踵を返して次に出張するというのは「朝鮮の京城」。現在の「韓国のソウル」です。

「あんぱん」がはじまった時代設定は1926(昭和2)年。朝鮮半島全体は朝鮮総督府を通じ、すでに日本統治が敷かれている頃でした。
お父ちゃんは高知から高松まで行き、宇高連絡船を経由し岡山から山陽路で下関(山口県下関市)へ。そこから釜山に至る「関釜連絡船」に乗る、というような言及がなされていました。
関釜航路 下関 - 釜山 240 km 所要7時間30分(1940年10月)出典①。

ここからは戦前に日本が統治していたいわゆる「外地(現在の日本国土以外の領地)」の鉄道に関する、手元の復刻版時刻表より。出典②。


その中から、お父ちゃんが旅した頃から10年ほど後の「朝鮮列車時刻表(昭和13年2月号、朝鮮総督府鉄道局発行)」をひもといてみます。

朝鮮半島で最初に鉄道が開業したのは、1899(明治32年)のこと。朝鮮総督府の指導によるものでした。
漢江に面した京城府(現在のソウル特別市)鷺梁津(노량진 Noryangjin ノリャンジン、現在のソウル特別市銅雀区)〜済物浦間(제물포 Jemulpo チェムルポ、現在の仁川広域市)。
国際海運の拠点だった仁川と最大都市の京城を結ぶ重要な役割を担うことになりました。鷺梁津にて。

その後、朝鮮半島全土に鉄道網は急速に拡大。
南東部の釜山(ふざん、プサン)が内地との一大玄関口となり、大邱(たいきゅう、テグ)や大田(たいでん、テジョン)といった地方都市を経て京城や平壌(へいじょう、ピョンヤン)に至る路線は、最重要路線として発達して行くのでした。


「関釜連絡船」で下関から朝鮮半島に上陸した乗客は、この本線に乗り換え。特急でも約7時間を要して、京城に辿り着いていたのでした。

「満洲国」は戦前日本が清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀(あいしんがくら・ふぎ、1906-1967)を皇帝に据え、現在の中国東北部に建国された国。つまりこのルートは日本の影響下にある外地を結ぶ重要なものだったことがわかります。

そして数日後。そのお父ちゃんが、京城に発つ日がやって来ました。





はちきんののぶをかわいがり、いちばんの理解者だった父・結太郎。
高知から、朝鮮へと旅立ちます。ところが…


京城での仕事を終えた結太郎は、帰路の「関釜連絡船」の船上で心臓発作を起こし、帰らぬ人となってしまいます。のぶや朝田家の面々にとっては、思いもよらぬ急逝でした。

のぶは今田美桜さんに替わりしたが、はちきんぶりはまったく変わらず。ただ、高等女学校を卒業した進路を悩むのぶは亡き父の言葉を思い出し、ついに自分の進む道を決めるのでした。
余談になりましたが、「あんぱん」は楽しみに毎日拝見しています。日本と韓国とのかつての歴史がストーリーの一端になっていることに、ふとこの旅のことを思い出したのでした。
次回に続きます。
今日はこんなところです。
(出典①「フリー百科事典Wikipedia#関釜連絡船」)
(出典②「満洲朝鮮復刻時刻表 附台湾・樺太復刻時刻表」日本鉄道旅行地図帳編集部 2009年11月発行)