2025年大阪・関西万博開催!その46〜万博輸送前の世代交代「OsakaMetro20系」前編 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。今日の話題です。

新年、2025(令和7)年を迎えました。



もう令和も7年になるのかと感慨に耽ってしまうのですが、果たして今年はどのような年になるのか。穏やかで平和な一年になることを願いたいと思います。


本年も、どうぞ宜しくお願い申し上げます。




先日の記事でもお送りしましたが、「2025年大阪・関西万博(日本国際博覧会)」開幕まであと3ヶ月あまりとなりました。東大阪市内にて。




大阪湾に浮かぶ人工島「夢洲(ゆめしま)」の会場に、鉄道として唯一アクセスすることになる「OsakaMetro中央線」。来月19日に「コスモスクエア(大阪市住之江区)〜夢洲間(同此花区)3.2km」が先行開業することになっています。


おらが街にも走る「中央線」ですが、昨年に入ってからは万博輸送を期しての変化を、乗車する度にさまざま感じました。



最たるものが、最新型車両「400系」の相次ぐ投入。長田にて。



さながら宇宙船を思わせる奇抜な外観デザインに、地下鉄車両としては異例のクロスシート(窓を真横にして座る)の採用など、なにかと度肝を抜かれました。高井田にて。



さらに、押し寄せるであろう来場者をさばくために、この「30000系」という車両も合わせて登場。長田にて。


万博終了後には「谷町線」へ転用するということで、OsakaMetroおなじみのラインカラー(中央線は緑色)が入っていないなど、趣味的には注目を集めるものでした。生駒にて。



これらの怒涛の投入で、なじみある「中央線」の顔ぶれはいっぺんに変わってしまったのですが、それと入れ替わるように、昭和末期から「中央線」で長年活躍した車両が姿を消しました。「20系」です。荒本にて。



「20系」は、前身の「大阪市交通局」時代の1984(昭和59)年にデビューした車両でした。


「中央線」が「深江橋(同東成区)〜長田間(大阪府東大阪市)」と延伸するのに合わせて登場したものです。





先の「大阪万博」を期して大量投入された「30系」や、昭和30年代後半から製造された「50系」などという、先代の車両を置き換える目的がありました。出典①。



ところでもとより?地下鉄車両ですので、あまり目立たない存在にも思えるのですが、実はこの「20系」は、日本の鉄道技術の面では歴史に残る車両としてその業界では知られています。




交流モーターを活用した「VVVFインバータ制御」と呼ばれる、電圧と周波数を自在に変化させ、さらにモーター自体も従来より小型化出来るという、それまで実現出来なかった主電動機の制御方式を、一般的な高速鉄道車両として日本ではじめて実用化した車両なのでした。


「夢の技術」と呼ばれた、交流モーターを主電動機に活用する技術は昭和40年代後半からさまざまな試験が行われて来ましたが、技術の進化で実用化が可能になったのが、昭和も末になったこの頃でした。



この「VVVFインバータ制御方式」は令和の現在、国内の鉄道車両(電車)には、ほぼ例外なく採用されているものです。出典②。



専門的なことはさておいて、先ほど延べた「深江橋〜長田間延伸」で、おらが街にも地下鉄が来たのでした。そういったことで、小さな頃から印象に残っていた、身近な車両でした。



新型車両の投入で、入れ替わりにその「20系」がひっそりと引退したのは、昨年3月のこと。その直前、奇しくも最後の乗車になった際の様子を、引き続きお送りしたいと思います。


次回に続きます。

今日はこんなところです。


(出典①「私鉄の車両16 大阪市交通局」飯島巌・吉谷和典・鹿島雅美・諸河久共著 保育社刊 昭和61年5月発行)

(出典②読売大阪朝刊 2023年9月25日 1面)