2025年大阪・関西万博開催!その44〜1970年大阪万博輸送の要「北急会場線」幻のトンネル公開 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。今日の話題です。



朝日大阪朝刊 2024(令和6)年12月13日付け 23面(大阪東部・河内地域面)より。

先の「大阪万博」で、会場へのメインルートとして多数の観客を輸送した「北大阪急行電鉄(北急)」。開幕1ヶ月前に開業し、閉幕翌日に廃止された「会場線」のトンネル遺構が報道公開された、というニュースでした。



記事を追ってまいります。
1970(昭和45)年3月に開幕し、半年の会期中に約6400万人という、当時の日本の人口の半分が訪れたという先の「大阪万博」。


想像もつかないほどの観客が押し寄せる中で、そのうち約4100万人超を輸送したのが、万博輸送のために設立された「北大阪急行電鉄(北急)」でした。



現在では、北摂・千里ニュータウンの重要な足としての役割が注目される北急。今年3月には長年、終着駅だった「千里中央駅(大阪府豊中市)」から北へ約2km先の「箕面萱野駅(同箕面市)」までの延伸を果たします。以下、出典①。


北急が設立された時からの念願だったという、千里中央から箕面方面への延伸。万博を終え、半世紀以上の長い時間を経てのことでした。



ところで、千里で開催される万博の輸送に際しては「大阪市営地下鉄(現在のOsakaMetro)御堂筋線」が大阪市境を大きく越えることから、市営での延伸事業は難航。


その結果、別会社の北急が設立され、御堂筋線と相互乗り入れすることで、大阪市内中心部から万博会場までの直通運転が図られたのでした。これが「会場線」と呼ばれました。




これらについては、以前にシリーズで詳しく取り上げました。よろしければどうぞ↑2024(令和6)年1月11日アップ。



今回、報道公開されたというのは、現在の「千里中央駅」手前から東へ分岐し「中国自動車道」の一部に仮線を設け、「万国博中央口駅(同)」という、会場の真ん前に設置された駅に至るためだけに建設、使用されたトンネル遺構です。



現路線から、今回公開された「会場線」へと分岐する、トンネル躯体。きれいですね。

左側が現在の「千里中央駅」に至るトンネル。


出典より。手前が「千里中央駅」に至る未開業だった線路。まさにこの場所がそうです。



記事によると、廃止された「会場線」はいまだ約300mが残されていて、公開はそのうち分岐点側に当たる約140mの部分だった、とのこと。


想像している以上に、廃線跡は遺されていたのですね。




さらに、読売テレビユーチューブより。こちらでもニュースになっていました。12日放送。

リポーターさんが示すのは、分岐点から「桃山台駅(同豊中市)」方向。


そして「千里中央駅」方向を望む。





現在線から右手、東側へと分岐するのが「会場線」。半世紀以上前の遺構ですが、真新しいですね。


万博輸送のためだけに作られたトンネルと、約3.6kmにも及んだ、半年あまり営業された「会場線」の遺構。



終着の「万国博中央口駅」も、仮設とは思えぬほどの設備だったことがわかるのですが、これが半年あまりだけで廃線にするとは。なんともぜいたくなことをした訳です。



折しも、この報道公開は来春に迫った「2025年大阪・関西万博」開催の機運を高める目的、だとのこと。



半世紀以上の年月を経ての、大阪での再びの万博開催が迫っていますが、この令和の時代にわざわざ行われる世界的なイベント。


さまざまな意見がありますが、今回の万博は果たしてどのような記憶、そして遺産を遺すことになるのか。ふと感じます。


今日はこんなところです。


(出典①「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」千里ニュータウン情報館 2023年9月5日〜10月27日開催 展示より)