特別展「みんな大好き!近鉄電車のデザイン」訪問記〜その17 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。



おらが街「東大阪市民美術センター」で今夏に開催された、特別展「みんな大好き!近鉄電車のデザイン展」を訪問した際の様子をお送りしています。




ここからも、引き続きパネル展示を拝見して行きます。「奈良線系特急電車の変遷」。

解説にもありますが、奈良・京都・橿原線系統の路線は大阪線と比べて路線規格が小さく、また、架線電圧も異なっていました。それら規格の違いが解消され他路線と同規格になったのは1973(昭和48)年秋のことでした。


奈良線の特急は1956(昭和31)年12月、特別料金不要の列車として登場しました(停車駅は上本町・鶴橋・大和西大寺のみ)。

当時最新型の高性能車両「800系」を用い、奈良の鹿をあしらったヘッドマークを掲げて阪奈間を30分ほどで走破したという、終日にわたり運行されたシンボル的な列車でした。出典①。


「新生駒トンネル」の開業(1964年9月)翌月には、奈良線全線で現在の規格である大型車両の運用が可能になり特急にも充当されました。

しかしながら1972(昭和47)年11月のダイヤ改正で、料金不要だったこの特急は停車駅を増やす形で新設の「快速急行」に置き換えられ、現在に至ります。


近鉄の他の路線で見られるような、有料の座席指定特急の設定が奈良線でもなされるようになったのは、翌1973(昭和48)年9月のこと。

同時期には「難波〜大和西大寺〜京都間」の有料特急も設定されました。その一番列車。このルートは朝夕の観光特急「あをによし」と同じです。学園前にて。


他路線と同規格となったことで、さまざまな特急専用車両が奈良線にも入線するようになります。車種の多い近鉄特急ですが、その多数に当たります。



目に留まったのは「12200系」という、この車両。先の大阪万博(1970年開催)を期して登場した車両で、デビュー当時には、車内で軽食を提供出来る「スナックコーナー」なるものが設置され、それも人気のひとつでした。


個性的な車両の多い近鉄特急の中において、標準軌の路線の殆どを走破出来るということで「汎用特急」として、地味ながら長らく親しまれた存在でした。


 
ところで先週末、大阪・日本橋のジョーシンでこのような鉄道模型イベントが行われました。

わたしも足を運んで来たのですが、出店されている各メーカーの社員さんと質疑応答が出来るということで、たくさんの人出でした。



そんな中、トミーテックの展示に「12200系」。
話しを伺うと、来年1月に発売になるのだとのこと。いや、かっこいい。


先ほど地味ながら、と触れましたが、この車両人気があるようです。160両以上製造され、奈良線のみならず沿線のどこかしらで目にする、身近な存在だったこともあるのでしょうか。

紺色とオレンジという近鉄特急を象徴する塗装は、この「12200系」の廃車で姿を消してしまいました。3年前、2021(令和3)年のこと。
わたしも、新製品は予約しています\(^o^)/



さて、会場にはパネル展示以外にも、さまざまなポスター類のそれもありました。

コーナーを少し先取りしますが、これは後継の「12400系」という車両が、日本最大の鉄道愛好者団体「鉄道友の会」から「1978年度ブルーリボン賞」という、最優秀の賞を受けた記念のもの。


記念特別急行券(という呼び方が時代を感じます。特急券)の発売に、「12400系」を用いた列車の時刻表。これは親切なもの。


車内の明るい雰囲気から、太陽光をイメージした「サニーカー」の愛称で親しまれています。近鉄特急は、こういった車両の愛称も実に魅力的で、さらに多岐にわたるなあと感じます。

次回に続きます。
今日はこんなところです。

(出典①「近鉄80年のあゆみ」近畿日本鉄道編・発行 1990年10月)