みなさんこんにちは。前回からの続きです。
おらが街「東大阪市民美術センター」で今夏に開催された、特別展「みんな大好き!近鉄電車のデザイン展」を訪問した際の様子をお送りしています。

「奈良線系特急車両の変遷」と題したパネル展示を引き続き拝見しています。


続いては「30000系」。近鉄特急の代名詞とも言える2階建て車両「ビスタカー」です。こちらも小さい頃から、大好きな車両。

パネル展示の先にあったポスター展示から、またもや先取りですが、この「30000系」がデビューした当時(1978年12月)のもの。「記念試乗券」なんですね。大変な意気込みでのデビューだったことが伺えます。

ところで、ポスターには「30000系」が「ビスタカー3世」と記されています。その上には、それまでに登場した、1世・2世の車両の姿が。

「ビスタカー」は2階建て近鉄特急の代名詞、と述べましたが、その歴史はこの「10000系」という車両に遡ります。1958(昭和33)年デビュー。出典①。

新幹線のまだない時代に、台車や機具類は高速走行が可能な、国鉄特急にもない破格で超高性能なものを実用化。しかし最大の特徴は、編成の間に連結された2階建て車両でした。
アメリカ横断鉄道のドーム車両に範を模したとされるこの2階席は「ビスタドーム」と呼ばれ当時の人々の度肝を抜きました。

試作車的な性格が強く、1編成7両しか製造されなかったビスタカー1世。世界初の2階建て電車として大変なインパクトを残したといいます。

その「10000系」を参考にして、翌1959(昭和34)年に登場したのが、ビスタカー2世こと「10100系」でした。

大阪から名古屋に至る広大な路線網を持つ近鉄ですが、「大阪線」と「名古屋線」の軌道幅が異なるために直通運転が出来ず、途中の「伊勢中川駅(現在は三重県松阪市)」での乗り換えを余儀なくされていました。
しかし同年の9月、伊勢湾台風で多大な被害を被った「名古屋線」の復旧工事と同時に狭軌(1,067mm)の「名古屋線」は「大阪線」と同じ標準軌(1,435mm)にあらためられます。

基本は3両編成で、中間の1両が2階建て構造。
先代の「10000系」から設計が見直され、座席を2×2列配置にするなど定員も増大させます。


こちらも、後ほど拝見したポスター展示から。
後継に「30000系」が登場することになり、特別に3編成をつないだ9両の重連で、最後の運行を行った時のものでした。1978(昭和53)年から翌年にかけてのことだそうです。

わたしはこの頃は生まれたばかりでしたので、当然ながら見たり乗ったりはしたことがありません。しかし、スピード感ある顔つきに2階建てですから、乗ってみたかったです。

そして「30000系」が「ビスタ3世」。
個性的な特急車両が居並ぶ中でも、いまなお存在感のある「30000系」だと感じます。
そして平成が近づく中、まさに劇的なデビューを果たした特急車両がありました。
「21000系 アーバンライナー」です。
次回に続きます。
今日はこんなところです。
(出典①「近鉄80年のあゆみ」近畿日本鉄道編・発行 1990年10月)