特別展「みんな大好き!近鉄電車のデザイン」訪問記〜その18 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。


おらが街「東大阪市民美術センター」で今夏に開催された、特別展「みんな大好き!近鉄電車のデザイン展」を訪問した際の様子をお送りしています。



「奈良線系特急車両の変遷」と題したパネル展示を引き続き拝見しています。



続いては「30000系」。近鉄特急の代名詞とも言える2階建て車両「ビスタカー」です。こちらも小さい頃から、大好きな車両。


パネル展示の先にあったポスター展示から、またもや先取りですが、この「30000系」がデビューした当時(1978年12月)のもの。「記念試乗券」なんですね。大変な意気込みでのデビューだったことが伺えます。


ところで、ポスターには「30000系」が「ビスタカー3世」と記されています。その上には、それまでに登場した、1世・2世の車両の姿が。


「ビスタカー」は2階建て近鉄特急の代名詞、と述べましたが、その歴史はこの「10000系」という車両に遡ります。1958(昭和33)年デビュー。出典①。


新幹線のまだない時代に、台車や機具類は高速走行が可能な、国鉄特急にもない破格で超高性能なものを実用化。しかし最大の特徴は、編成の間に連結された2階建て車両でした。

アメリカ横断鉄道のドーム車両に範を模したとされるこの2階席は「ビスタドーム」と呼ばれ当時の人々の度肝を抜きました。


試作車的な性格が強く、1編成7両しか製造されなかったビスタカー1世。世界初の2階建て電車として大変なインパクトを残したといいます。


その「10000系」を参考にして、翌1959(昭和34)年に登場したのが、ビスタカー2世こと「10100系」でした。


大阪から名古屋に至る広大な路線網を持つ近鉄ですが、「大阪線」と「名古屋線」の軌道幅が異なるために直通運転が出来ず、途中の「伊勢中川駅(現在は三重県松阪市)」での乗り換えを余儀なくされていました。

しかし同年の9月、伊勢湾台風で多大な被害を被った「名古屋線」の復旧工事と同時に狭軌(1,067mm)の「名古屋線」は「大阪線」と同じ標準軌(1,435mm)にあらためられます。


軌道幅が統一され、大阪・名古屋間の直通運転が開始されたのに合わせて登場したのが、この車両でした。近鉄名古屋にて。


基本は3両編成で、中間の1両が2階建て構造。
先代の「10000系」から設計が見直され、座席を2×2列配置にするなど定員も増大させます。


階下席(1階席)には半個室式の座席が設けられるなど人気を博しました。最終的には3両×18編成、合計54両が1963 (昭和38)年にかけて登場、近鉄特急の看板車両に躍り出ます。


こちらも、後ほど拝見したポスター展示から。

後継に「30000系」が登場することになり、特別に3編成をつないだ9両の重連で、最後の運行を行った時のものでした。1978(昭和53)年から翌年にかけてのことだそうです。


わたしはこの頃は生まれたばかりでしたので、当然ながら見たり乗ったりはしたことがありません。しかし、スピード感ある顔つきに2階建てですから、乗ってみたかったです。



そして「30000系」が「ビスタ3世」。
個性的な特急車両が居並ぶ中でも、いまなお存在感のある「30000系」だと感じます。



そして平成が近づく中、まさに劇的なデビューを果たした特急車両がありました。

「21000系 アーバンライナー」です。


次回に続きます。

今日はこんなところです。


(出典①「近鉄80年のあゆみ」近畿日本鉄道編・発行 1990年10月)