みなさんこんにちは。前回からの続きです。
おらが街「東大阪市民美術センター」で今夏に開催された、特別展「みんな大好き!近鉄電車のデザイン展」を訪問した際の様子をお送りしています。

今回の特別展の目玉だという「奈良線」の前身「大阪電気軌道(大軌)」で使用されていた、布製の「駅名表示幕」とついにご対面です。わくわくします。

引き続き、この駅名表示幕に収録されている内容を観察しています。
左端には乗り換えや名所旧跡の案内が主に。



「ふせ」で乗り換えとなるのは「大阪線」。
「神宮前」は伊勢神宮かなと思うのですが、路線はこの頃、桜井(奈良県桜井市)から東は未開業。ということで橿原神宮だとわかります。

乗り換えや名所旧跡以外に気になるのは列挙された地名。おらが街ですので知っている場所ばかりなのですが、不思議なことに気づきます。
これ。◯◯方面、の後に記されている文字ですが。行書ですね。読めません(苦笑)
なんと書かれているのかといろいろ調べてみましたら「古ゝ(ここ)」だとのこと。
「此処」と同じ意味合いやねんなあと思うのですが、なんだか風流なものです。

ところで、おらが街の中心部を東西に縦貫している「奈良線」ですが、先ほど触れた次駅周辺だと記された、さまざまな地名。グーグル地図より。
おそらくは、駅周辺の集落名を案内かたがた記したのだと思われるのですが、果たしてどのあたりまでの移動を想定していたのでしょうか。
まずは「はなぞの」「へうたんやま」から。

「河内花園」から北側、いま訪問している「東大阪市民美術センター」が所在している付近が松原(まつばら)。
そして、吉田(よした)はさらに北側ですが、現在は「近鉄けいはんな線」の駅があることで知られます。確かに、美術センターと同じ敷地内のラグビー場も、吉田は最寄り駅のひとつになっていたことに気づきます。

東の「瓢箪山」付近。
「稲荷社」は駅前の「瓢箪山稲荷神社」とすぐわかるのですが、四条(しじょう)や六万寺(ろくまんじ)は徒歩で10〜15分ほど要すでしょうか。現在でしたら、駅前から近鉄バスが経由するのですが。

驚いたのは「高安(たかやす、大阪府八尾市)」の地名があること。布施で分岐する「大阪線」の駅ですが、どうにも瓢箪山からは歩いて行けるような距離ではありません。

大軌が高安ゆきの路線バスを兼業していたのかはわかりませんが、これが最寄り駅になるとは地元民としては、ちょっと驚きます。

続いて「わか江いはた」と「こさか」。

「若江岩田」は、市内中南部に当たるところ。南の「第二寝屋川」を境に、八尾市に至りますが、そのあたりの地名がちらほらと。これらは現在でも、若江岩田や河内花園の駅勢圏です。

そして「河内小阪」。
若江岩田との間には「府道大阪中央環状線(中環)」や「近畿自動車道(近畿道)」で地域は区切られていますが、これらははるか後、1970〜80年代に開業したもの。それまではやはり、田園風景が広がるのんびりとしたところ。
余談ですが「菱江(ひしえ)」は、父方の祖母の生家。よくお邪魔しました。懐かしいです。

「御厨(みくりや)」など含め、現在は「近鉄けいはんな線」や「OsakaMetro中央線」が乗り入れる「荒本(あらもと)」「長田(ながた)」「高井田(たかいだ)」も、概ねそのようでした。荒本にて。

ところで、小阪駅で案内されている地名の中に「稲田(いなだ)」というものがありました。
近鉄沿線では見当たりませんし、はて、どのあたりなのかと思案します。

よくよく考えてみるのですが、先ほどの高井田や長田からさらに北には「稲田新町(いなだしんまち)」という地名があったことを思い出しました。

もうこのあたりは市内でも北西端、最寄り駅は「JR学研都市線(片町線)」の「徳庵(とくあん)」や「鴻池新田(こうのいけしんでん)」がそうです。
小阪からですと、だいたい北東に7〜8kmはあります。とても歩けるような距離ではないのですが、とはいえ、戦前の人々はこれくらい普通に歩いていたのでしょうね。


しかし、想像以上に各駅から遠いところまでの利用を想定していたことに驚くのですが、いまのように便利な路線バスが走っていたでもなくおそらくは、電車を降りてから延々と徒歩移動だったはず。大変なカルチャーショックです。
近鉄八尾駅前から、JR住道(大阪府大東市)に至る近鉄バス43号系統。利用客が多く、頻発している路線です。若江岩田駅前にて。


いまの、LCDやLEDを用いた車内案内表示につながる幕式の巨大な行先表示器。手がこまれているところ、わかりやすさを追求したところなどは、昔もいまも変わらないものなのだなと感心します。いや、いいものを拝見出来ました。
次回に続きます。
今日はこんなところです。