特別展「みんな大好き!近鉄電車のデザイン」訪問記〜その13 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。


おらが街「東大阪市民美術センター」で今夏に開催された、特別展「みんな大好き!近鉄電車のデザイン展」を訪問した際の様子をお送りしています。



今回の特別展の目玉だという「奈良線」の前身「大阪電気軌道(大軌)」で使用されていた、布製の「駅名表示幕」とついにご対面です。わくわくします。


長い長い幕ですが、じっくりと拝見して参りましょう。駅名は右書きというのに時代を感じるのですが、奈良線が上本町着発だったもの。

上本町ではなく「大阪」と記されているのにターミナルの風格を感じますが、接続していた大阪市電も、車掌の案内は「大軌線乗り換え」ではなく「奈良ゆき電車乗り換え」だったそうです。仮名で鶴橋、今里片江、布施…と続きます。


もちろん、駅名は漢字表記だった筈ですが、敢えて仮名表記にしているのはわかりやすさもさることながら、社会的にはまだまだ識字率が低かったこともあったのでしょうか。

旧仮名使いですので、へうたんやま(瓢箪山)にひらをか(枚岡)。しかし、独特です。


「わしを(鷲尾)」を過ぎると、府県境の「生駒トンネル」に入りますが、「とみを」の次は「あやめいけ」。あれ、学園前がありません。特急も停まる、乗降客も多い駅なのですが。

1942年(昭和17年)3月6日
関西急行鉄道(戦争を機に、大軌が他会社と合併して設立された鉄道会社)奈良線の富雄 - 菖蒲池間に新設開業。生徒の登下校時のみ電車が止まるようになった。
比較的あたらしい駅だったんですね。出典①。


そして、さいだいじ(現在は大和西大寺)を経てあぶらざか(油阪)、なら(奈良)。

新大宮は1969(昭和44)12月9日の開業ですのでやはりありません。不思議な感じがします。


現在「近鉄奈良駅」には地下線で乗り入れている「奈良線」ですが、大軌による開業以来、その手前の区間は併用軌道(自動車などと敷地を共用する軌道)を含む区間でした。




先日記事でも触れましたが、ローカル然としていた沿線の開発が戦後になって進み、列車の増発や大型化、長編成化が必要になりました。

そのために併用軌道区間は地下線に切り替えられ、ターミナルの「近鉄奈良駅」は地下駅となる計画が立てられました。



その途中にあったのが「油阪駅」。商店街の入り口付近にあり、「国鉄(→JR)奈良駅」にも近いということで、乗り換え客の利用も多かったといいます。いまは代替駅はありません。



この併用軌道区間が廃止され、地下線に切り替えられたのは1969(昭和44)年12月9日。
つまり先ほど触れた「新大宮駅」は、切り替えられた新ルートに新設された駅なのでした。 

そして、世は翌年に大阪万博を控えたところ。発車する列車には「EXPO70」のステッカーが貼られているのがわかります。
近鉄といわず、関西の鉄道は先の万博を契機にして大きな変貌を遂げたのでした。


半世紀以上前の、先の大阪万博ですらレトロやなあと感じるのですが、これはさらにそれよりまた半世紀前のもの。すごいもんです。


ところでこの幕、奈良線だけではなく、他の路線の駅名も記載されています。
にしのきやう、くでう、こほりやま…などというと、大和西大寺から分岐するあの路線です。

次回に続きます。
今日はこんなところです。

(出典①「フリー百科事典Wikipedia#学園前駅(奈良県)」)