特別展「みんな大好き!近鉄電車のデザイン」訪問記〜その9 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。


おらが街「東大阪市民美術センター」で今夏に開催された、特別展「みんな大好き!近鉄電車のデザイン」を訪問した際の様子をお送りしています。


本展示をじっくりと拝見しているところですがおっ、次はポスターの展示です。


近鉄が開業100周年を迎えた10年前に、「奈良線」各駅のかつての姿を紹介したものでした。これもまた気になります。


大阪市内と奈良とを結ぶ「近鉄奈良線」ですが市内を抜けると、河内平野のただ中にあるおらが街の中央部を、東西に縦貫します。

東大阪市内にある奈良線の駅の数は、11駅。グーグル地図を加工。


それでは、順繰りに拝見して行くことにしましょう。おらが街の駅々ですので、昔はどのようなものだったのか興味深いところ。


大阪市内を抜けて、東大阪市内に入った最初の駅は「布施駅(ふせえき)」。



現在の姿。大阪近郊では珍しい重層構造の高架駅で、最上部(4階)を「奈良線」が、3階を「大阪線」が発着しています。



布施・河内(かわち)・枚岡(ひらおか)の3市が合併して誕生した東大阪市ですが、それを構成していたこのあたりの所在地「布施市」は戦前にはすでに市制を敷いており、映画館が立ち並ぶにぎやかなところだったそうです。


昭和30年代の布施駅。通過線が設けられているのはいまと同じですが、地平時代はそれゆえに構内は広かったのですね。


奈良線は直線で左側に、大阪線はカーブを取って右側に別れて行きます。

現在はそれぞれ線路は分離されていますが、起点の大阪上本町からは線路は共用されていたとのこと。多数の列車が輻輳する現在からは、想像もつきません。


市域の広い東大阪ですが、商店街も複数あり、このあたりは現在でも市随一の繁華街です。わたしは北の端っこ住みですので、このにぎやかさ都会さは同じ市内とは思えません(苦笑)



続いては、隣の「河内永和駅」。

近年になり「JRおおさか東線」が開業し、新大阪やうめきたエリアに直通出来るとあって、再開発が進められているところ。


「永和」はいわゆる瑞祥地名だったのですね。
しかし、これを「ながにご」と読ませるのははじめて知りました。

「和やか」は「にこやか」とも読みますし…


永和の次は「河内小阪駅」。準急停車駅です。


昭和40年代に入ってでしょうか。近鉄バスが起点に発着する、地域の拠点駅です。


やはり地平駅ですが、この駅を含む区間が高架化されたのは1977(昭和52)年のこと。わたしが小さい頃にはすでに高架でしたので、まるで違う駅のように感じます。


しかしながら、背景に見えるこのマンションとビル。見覚えがあります。人口増加を受けて駅前が再開発された、昭和40年代に建設されためのと聞いたことがあるのですが。

沿線の見覚えある建物で、ようやくここが小阪だとわかります。これはおもしろい。

次回に続きます。
今日はこんなところです。