おらが街「東大阪市民美術センター」で今夏に開催された、特別展「みんな大好き!近鉄電車のデザイン展」を訪問した際の様子をお送りしています。

おらが街にありながら初めての訪問になるのですが、さっそくにさまざまな貴重な展示に感嘆しています。

さて、まだ本展示に入る前ですが、エントランスのショーケースには気になるものがまだまだあります。続いてはこちらの「鮮魚列車」。
行き先は「松阪(三重県松阪市)」。裏面は「大阪上本町(大阪市天王寺区)」です。

名前の通り、早朝に伊勢で水揚げされたばかりの新鮮な鮮魚類を奈良や大阪に運ぶための専用列車です。いわゆる「行商列車」ですが、全国的に見ても、名称の独特さは際立っています。
列車は専用のもの(塗装や内装が他の車両と異なる)が使用されたのですが、展示されていたパネル写真は、通勤型車両が代走時のもの。

ではここからは、毎度おなじみ「フリー百科事典Wikipedia#鮮魚列車」の項より。
1950年代後半より、三重県から魚類・米・伊勢たくあんなどを背負って近鉄に乗り、大阪で売りさばいた後、別の物資を仕入れて帰る行商人が出現した。
1960年代になると、大阪へ向かう魚の行商人はますます増加し、魚介類を一般列車に持ち込むと魚臭など他の客の迷惑になるため、近鉄では「伊勢志摩魚行商組合連合会」のための専用列車を仕立てることになり、1963年9月21日のダイヤ変更より「鮮魚列車」として鮮魚行商のための団体専用列車の運行を開始した(駅ホームの案内や車両の表示は「鮮魚」「貸切」)。
伊勢志摩魚行商組合連合会は鮮魚列車が運行を開始した1963年に結成されたもので、会員は入会金・会費を払って入会した。
鮮魚列車利用時には乗車券(定期券)と共に近鉄から承認された会員証を所持し、鮮魚を運ぶための手回り品切符も必要であった。会員は津市(香良洲)、松阪市(猟師、松ヶ崎)、伊勢市(村松、有滝)、鳥羽市(鳥羽)に分布し、猟師支部の会員が8 - 9割に上った。
連合会の会員以外の一般旅客は乗車できず、時刻表にも掲載されていないことから「幻の電車」とも呼ばれた。車内には伊勢志摩の新鮮な魚介類が入った発泡スチロールや段ボールの箱などが積み込まれる。

連合会の規約では、車内や座席を汚損しないように、魚介は「カン」と呼ばれるブリキの箱に入れることになっていたが、末期には発泡スチロールが使われるようになった。
早朝に宇治山田駅を出発し、およそ2時間半をかけて大阪へと向かい、夕方は大阪から松阪駅まで向かっていた。

そういえば、伊勢の鮮魚を扱う店舗というのは大阪市内の商店街では幾つも見かけたことがあります。なるほど、そういうことだったのかと合点が行くのですが、どちらかと言えば、列車を降りた後にお得意さんのお家を回り、商品を売り捌く行商の人々の方が多かったようです。
鮮魚列車が目指した大阪は、まさに大消費地だったゆえの専用列車だとわかります。

ところで、手元の参考文献にこの鮮魚列車が、大阪・鶴橋に到着した直後の様子を収めたものがあるのを思い出しました。車両は一世代前の旧型ですが、やはり専用車両。出典①。

ホームで商品を降ろす作業。市場のようです。

拡大してみますと、発泡スチロールに仕分けられた魚介!量もありますし本格的なものです。
これが各行商人で持ち込むとなると、鮮魚列車が仕立てられた事情がよくわかります。

鮮魚列車のみならず、大きな荷物を担いだ行商の人々は小さい頃には地元でも見かけることが出来たのですが。いまではすっかり姿を消してしまいました。活気のある光景です。
全盛期は200人を超える行商人が利用し、車内は荷物であふれ返り、荷物棚に寝転がらなければならない行商人が出るほどであったという。しかし、自動車の普及や行商人の高齢化(後継者不足)などにより、利用者は2008年時点で50名ほど、2014年に20名、廃止直前には数名にまで減少していた。
「伊勢志摩魚行商組合連合会」の会員数も2009年現在115名で、2000年の239名に比べて半減した。2015年時点のダイヤでは上りが宇治山田駅6時9分発大阪上本町駅8時57分着、下りが大阪上本町駅17時15分発・松阪駅19時33分着で、2020年3月13日の運転終了直前のダイヤでは上りが宇治山田駅6時1分発・大阪上本町駅8時58分着であった。

57年にわたって活躍した、近鉄ならではの鮮魚列車は2020(令和2)年3月のダイヤ改正でついに廃止されました。
ただ、引き続き行商人の便を図るために、代替えでこの「伊勢志摩お魚図鑑」なる、定期列車の1両のみを専用車両に指定した列車があらたに設定され、現在に至ります。
運用初日の「伊勢志摩お魚図鑑」を、くだんの鶴橋駅に見に行った様子はこちらもどうぞ↑
特急「ひのとり」がデビューした日でもありました。2020(令和2)年3月25日アップ。

専用列車ではなくなったものの、伊勢と大阪を結ぶ歴史は、この鮮やかなイラストの車両につながるのでした。奥の深いエピソードです。
次回に続きます。
今日はこんなところです。
(出典①「ヤマケイ私鉄ハンドブック13 近鉄」廣田尚敬写真・吉川文夫解説 山と渓谷社発行 1984年7月)