特別展「みんな大好き!近鉄電車のデザイン」訪問記〜その3 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

おらが街「東大阪市民美術センター」で今夏に開催された、特別展「みんな大好き!近鉄電車のデザイン展」を訪問した際の様子をお送りしています。


会場の美術センターに到着しましたが、エントランスのショーケースからさっそく貴重な品々がずらり並んでいるということで、本展示を前に年甲斐もなくわくわくとしています(汗)


ショーケースの内部にはさまざまな種類の表示看板が並べられています。

色や形、その用途も多岐にわたるのですが、その中には気になるものが幾つもありました。



数が多いのは、行き先駅名のみを記したアクリル製の表示板たち。しかし、どのように使用されていたのかというと…



特急列車の先頭と最後尾に取り付けられていたものでした。枠は2つあり、向かって左側にその行き先が掲げられていたのでした。出典①。


ちなみに、白地の右側には「ノンストップ」や「臨時」などの場合、その旨を記した板を使用していました。出典②。



終着駅に到着する度、その都度次の行き先に差し替えるという手間を要していた訳ですが、特急車両だけでも多数の種類があった近鉄。いずれの車種でも使用出来るように、その寸法は揃えられていたといいます。

中央の剣のようなサインは「特急マーク」を表す。10400系(1961年デビュー)という車両。出典③。


アナログながら、よく考えられているなあと感心するのですが、以前から気になっていたのは行き先板のこの方式に該当しない特急車両があったということでした。それがこの18200系という、中型規模の車体を持つ車両です。


これについては、表示板は「菱形」という。

京都から伊勢志摩方面に向かう特急列車に多用されていた車系ですが、なぜかこれだけがこのような特殊なデザインなのでした。


もともとは、路線規格(車両限界)が小さかった京都・橿原線から伊勢方面に直通する特急列車を運行するに当たり、車体の大きさを小さい方に合わせたのでした。

1966(昭和41)年12月、京都駅での宇治山田ゆき一番列車の出発式典より。出典④。


また、京都・橿原線は直流600V、大阪線は直流1500Vと、架線電圧も異なるために複電圧方式を採用したという、画期的な車両でした。

京都・橿原線の路線規、大阪線など他の路線並に拡大されたのは1973(昭和48)年9月のことですが、そのあたりとなにか、関係があるのかななどと勘ぐってしまいます。


ちなみにこの18200系は、車内設備の陳腐化が目立つようになった1989(平成元)年、全車両が団体専用列車「あおぞら2」に大改造の上、生まれ変わることになります。出典⑤。


そう、前回記事で取り上げた近鉄の元祖・オール2階建ての団体専用列車「あおぞら号(20100系)」が老朽化で廃車されることによる後継車両として、でした。奇遇なことです。


その行き先板は徐々に、このような自動幕式のものに置き換えが進められました。出典③。


さらに近年は、幕式からLED式へと装換されつつあります。そのあたり技術の向上といいますか、時代の流れの速さを感じます。京都にて。


さて、展示の中にはこれも近鉄電車だけだったという、長年にわたって親しまれたこの列車にまつわるものもありました。こちらもやはり、伊勢に大きく関わる列車だったのですが。

次回に続きます。
今日はこんなところです。

(出典①「鉄道ピクトリアル No.313 臨時増刊号 近畿日本鉄道特集」電気車研究会編・発行 1975年11月)
(出典②「近畿日本鉄道 80年のあゆみ」近畿日本鉄道編・発行 1990年10月)
(出典③「復刻版私鉄の車両 近畿日本鉄道1特急車」飯島巌・藤井信夫・井上広和共著 ネコ・パブリッシング発行 2002年7月)
(出典④「カラーブックス 近鉄線各駅停車2 京都・橿原線」徳永慶太郎著・保育社刊 1984年11月発行)
(出典⑤「フリー百科事典Wikipedia#近鉄18200系電車」)