みなさんこんにちは。前回からの続きです。


9月。京阪電車を象徴するひとつ、総延長12kmに及ぶ大阪方の高架複々線を行く列車群。「土居〜滝井間(大阪府守口市)」。

行き交う列車を超望遠で捉えたもの。これは迫力があります。上り(京都方面)区間急行が満員なので、これは夕方のラッシュでしょうか。

京阪電車では、外側の各駅停車が走る線路をB線、内側の2線(急行線)をA線と呼びます。すなわち切り取ったこのショットは下りA・B線。

遠くを見渡す限り、ず〜っと直線が連続するこの区間を地図で確認しますとこのような感じ。
上りですと、京橋を出てからカーブを過ぎたところから写真が撮られた土居の手前までは、いっさいカーブはありません。その間、北東に約4kmほど。1933(昭和8)年12月にすでに完成していた高架複々線です。グーグル地図より。
京橋からですと、長い直線区間が終わり、最初にゆるいカーブにかかる「土居駅」上りホームの最後部から、このように捉えたもの。

上下線、数々の列車が行き交うこの風景ですが実は、考えられないほどのものすごい情報量が凝縮されていることに驚きました。

注釈を入れると、こうなります。
撮影しているのが「土居駅」ですが、その隣の「滝井駅」のみならず、なんと5駅先の「野江駅(大阪市城東区)」のホーム屋根はおろか、さらに駅の京橋方にある「JRおおさか東線」が乗り越すガードまで見えるではないですか。
車内から。ゆるいカーブにかかっている土居。カレンダーのショットは白★あたりからの撮影でしょうか。
5駅先の野江を通過すると「JRおおさか東線」のガードをくぐる。この先は一転してカーブが連続し、京橋に至ります。
ということは、☆〜★まで捉えているという。
このあたり、土地勘がありますのでなおさらこれはすごいと、あらためて驚いた次第です。

先ほども触れましたが、よくこのようなものを昭和初期に作ったなあと感心します。
おかげで戦後、沿線の例を見ないような開発の中、さまざまな制約がありながら国内でも三指に入るほどの激しいラッシュ輸送をこなせたのは、この高架複々線があってゆえのことなのでした。
そのあたりについては、よろしければどうぞ↑
2021(令和3)年2月13日アップ。


10月。京都方から木津川を渡り、宇治川橋梁に向かおうとする列車。広々した空が気持ち良いですね。
先日記事でも触れましたが、京阪本線で緑広がる長閑な車窓はもうこのあたりだけになってしまいました。それゆえ、通過する時にはいつもほっとするのですが。この角度からですと、淀の京都競馬場が見えて来るというところ。
いや、今年も十二分に愉しめたカレンダーのショットばかりでした。毎月、違う沿線風景を見るのが待ち遠しくなります。

果たして、来年はどのような年になりますでしょうか。今日はこんなところです。