多扉車の元祖「京阪電車5000系」ラストランへ向かって〜その13 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。


本題の「5000系」からは少し話しを拡げ、全国的に例のないほどの沿線人口の爆発的な増加の中、年を追うごとに激化していった京阪電車の平日朝ラッシュ時輸送、その解決のために昭和30〜50年代に採られた対策について、時系列的に掘り下げるということをしています。

 

 

昭和初期に完成した、高架複々線を普通列車で走る、旧塗装時代の「5000系」。関目にて。 

 

 

夕方の区間急行として充当。千林〜滝井間にて。いずれも2008(平成20)年撮影。 



グーグル地図より。
「野江駅(大阪市城東区)」から北東へ、京阪の線路はまっすぐな直線区間に入ります。 
1933(昭和8)年に完成した、当時としては画期的だった「高架複々線」です。

 


京阪電車は、もともとは「路面電車規格」として開業した鉄道でした。

それと併せて「東海道五十三次」につながる「京街道」沿いの街々を結んでいたことから、カーブが多かったのですが、早くも大正時代には高速運転を志向していたようです。出典①。


 

それを具体化させたのが、この高架複々線だったのですが、それ以前は、やはりというかこの区間も「七曲り」と揶揄されるほど、カーブの連続する市街地を縫うように線路が敷かれていたといいます。 

 

 
路面電車から、大阪・京都という二大都市を結ぶ近代的な都市間鉄道へと変貌を遂げたのも、「先見の明」と言えるこの高架複々線の建設を鑑みるに、同業他社と比べても先を行く部類に入るものだったことが窺い知れます。出典同。
 
 

 

では、その昭和初期に完成した高架複々線にある、こちらの「千林駅(せんばやしえき、同旭区)」で途中下車してみたいと思います。 


中央の二線は、特急や急行なとが走る通過線。

普通列車には、基本的には両端の二線にホームが設けられていて、頻繁に列車が高速で通過する光景は、なかなかダイナミックです。

 


 

ホームのベンチ、いや、椅子はレトロな木製。 

この高架複々線が開業した、昭和初期の意匠がそのまま遺されています。いい雰囲気です。

 

 

再び、グーグル地図より。

ところで、直線がひたすら続くこの区間。

この駅からの眺めは、ちょっと興味深いものがありまして… 

 

 

大阪方には「森小路駅」と「関目駅」の姿が。 

 

 

京都方には「滝井駅」と「土居駅」の姿をはっきりと視認することが出来ます。


駅間距離の短さもあるのですが、やはり、長い直線区間に位置しているゆえでしょうか。

なかなか壮観だと感じます。


  

 

さて、この「千林駅」改札を出ると「大阪三大商店街」と称される「千林商店街」が目の前に広がります(他の二つは北区の「天神橋筋商店街」、東住吉区の「駒川商店街」)。 

 

 

昔ながらの商店街、という姿も色濃いのですが

たくさんの店舗が立ち並び、通り抜けるだけでも楽しい道すがらです。

わたしもヨメハンとたまに出かけるのですが。 

 

 

改札を出て、線路沿いを歩いていますと、なんともいえないレトロな雰囲気が漂っています。




 

こちらも、昭和初期に完成した頃のまま。 

さすがに看板は後年のものですが、こういった雰囲気はたまりません。

 

 
それでは、この高架複々線をさらに京都方面へ進みます。
(出典①「京阪百年のあゆみ」京阪電気鉄道株式会社編・発行 2010年)

次回に続きます。
今日はこんなところです。