みなさんこんにちは。前回からの続きです。
本題の「5000系」からは少し話しを拡げ、全国的に例のないほどの沿線人口の爆発的な増加の中、年を追うごとに激化していった京阪電車の平日朝ラッシュ時輸送、その解決のために昭和30〜50年代に採られた対策について、時系列的に掘り下げるということをしています。
昭和初期に完成した、高架複々線を普通列車で走る、旧塗装時代の「5000系」。関目にて。
夕方の区間急行として充当。千林〜滝井間にて。いずれも2008(平成20)年撮影。

京阪電車は、もともとは「路面電車規格」として開業した鉄道でした。
それと併せて「東海道五十三次」につながる「京街道」沿いの街々を結んでいたことから、カーブが多かったのですが、早くも大正時代には高速運転を志向していたようです。出典①。
それを具体化させたのが、この高架複々線だったのですが、それ以前は、やはりというかこの区間も「七曲り」と揶揄されるほど、カーブの連続する市街地を縫うように線路が敷かれていたといいます。
では、その昭和初期に完成した高架複々線にある、こちらの「千林駅(せんばやしえき、同旭区)」で途中下車してみたいと思います。
中央の二線は、特急や急行なとが走る通過線。
普通列車には、基本的には両端の二線にホームが設けられていて、頻繁に列車が高速で通過する光景は、なかなかダイナミックです。
ホームのベンチ、いや、椅子はレトロな木製。
この高架複々線が開業した、昭和初期の意匠がそのまま遺されています。いい雰囲気です。
再び、グーグル地図より。
ところで、直線がひたすら続くこの区間。
この駅からの眺めは、ちょっと興味深いものがありまして…
大阪方には「森小路駅」と「関目駅」の姿が。
京都方には「滝井駅」と「土居駅」の姿をはっきりと視認することが出来ます。
駅間距離の短さもあるのですが、やはり、長い直線区間に位置しているゆえでしょうか。
なかなか壮観だと感じます。
さて、この「千林駅」改札を出ると「大阪三大商店街」と称される「千林商店街」が目の前に広がります(他の二つは北区の「天神橋筋商店街」、東住吉区の「駒川商店街」)。
昔ながらの商店街、という姿も色濃いのですが
たくさんの店舗が立ち並び、通り抜けるだけでも楽しい道すがらです。
わたしもヨメハンとたまに出かけるのですが。
改札を出て、線路沿いを歩いていますと、なんともいえないレトロな雰囲気が漂っています。
こちらも、昭和初期に完成した頃のまま。
さすがに看板は後年のものですが、こういった雰囲気はたまりません。