JR東日本 期間限定「キュンパス」で巡る北東北から寄り道しながら帰阪の旅〜その21 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。


暫定ながら、ついに完乗を果たしたJR東日本の全路線。その続編ということで、引き続き「キュンパス」を使い、北東北からあちこち寄り道しながら、帰阪の途に就こうという旅日記をお送りしています。


「東京駅(東京都千代田区)」に戻って来ました。旅も佳境に入った第2日目(2024年3月12日)ですが、せっかく来ている東京駅。



前回に引き続き、わたしがはじめて泊まりがけひとり旅を許された高校1年生の春、恥ずかしながらこの駅で撮り鉄に勤しんだ当時の様子をご覧いただくことにします。1994(平成6)年3月、ちょうど30年前のことです。


さて、夜のとばりが降りて来ました。
ここからは、30年前の夜の東京駅です。

山手線は「205系」という、旧国鉄末期になって導入されたこのステンレス車両で統一されていた頃。すでに二世代前の車両になりました。JR西では、まだ奈良線で走っていますが(汗)


この編成の側面窓は、いわゆる「」の形。
多数製造された中でも1984(昭和59)年に先行して量産されたグループだけに見られた、昔ながらの二段窓でした。以降は見た目もすっきりとした一枚の下降窓に統一されてしまいます。

まったく偶然のことなのですが、アルバムを眺めていてこれには気付いた次第です(汗)


「上野東京ライン」はもちろんありませんでしたので、東海道線筋の列車はこの駅が終始発。
ホームは多数、さらに列車はばらばらの番線にやって来ますので、おそらくはカメラを持って走り回っていたのでしょう。

大阪では珍しかった「165系」、急行型電車です。列車番号からすると、静岡からはるばる在来線で東上して来た「急行東海」のはず。


ではここからは、この「JTB時刻表 1994年3月号(日本交通公社発行)」から拾ってみます。



アルバムは撮影した順ですので、夜に東京駅を発車するブルートレインもしっかり順を追って収めていました。18:44発は「特急出雲1号」。



大阪や京都も通る列車ですが、深夜も深夜の通過でしたから、見るのははじめて。

深紅に浮かぶ、雲の神々しいヘッドマークしかり、感動したのでした。


行き先は「浜田(島根県浜田市)」。出雲市よりずっと先ですが、山陰でさえ遠くへ行ったことがなかった当時でしたから、まさに未知の地でした。


これに並んでいたのが、19:00発「あさかぜ1号」。食堂車こそなくなっていたものの、豪華なロビーカーや、個室寝台などが連なっていたことは知っていました。終着、博多には10:55着。

日付けは2日前になっていますが、電源を入れ直した時の、日時設定の不具合です(^_^;)


しかしいまですと、10分ほど前に出発する「のぞみ59号」に乗ると、博多には日着してしまうのですから。ヤフー乗り換えアプリより。


世の進化というものはすごいものだと感心するのですが、当時はゆっくり一晩かけて、東京から地元駅まで足を延ばして、休んで行けることが寝台特急のニーズとして根強かったことを、ふと感じます。いい時代だったんですね。

次回に続きます。
今日はこんなところです。