みなさんこんにちは。前回からの続きです。


暫定ながら、ついに完乗を果たしたJR東日本の全路線。その続編ということで、引き続き「キュンパス」を使い、北東北からあちこち寄り道しながら、帰阪の途に就こうという旅日記をお送りしています。


「東京駅(東京都千代田区)」に戻って来ました。相も変わらず、東西のコンコースは大変な人の波。
いよいよ佳境に入った旅の第2日目(2024年3月12日)ですが、せっかく来ている東京駅。


恥ずかしながら、わたしがはじめて泊まりがけひとり旅を許された高校1年生の春、この駅で撮り鉄に勤しんだ当時の様子を、少しばかりご覧いただくことにします。1994(平成6)年3月、ちょうど30年前のことです。


30年前といいますと、JRが発足してからまだ10年も経過していない頃でした。そういったことで、やって来る車両は旧国鉄からのものが多数を占めていました。いまでは信じられません。

「東海道線」にはこの111・113系。この車系にはやはりこの塗装がいちばんしっくり来ます。これが沿線の名産、みかんにヒントを得た「湘南色」と呼ばれるのは、言うまでもないもの。


地下ホームに移りますと、横須賀・総武快速線にも111・113系。新型車両は確か出だした頃だったのではと記憶しているのですが、どちらかというとそちらの方を見たかったのでした。

111・113系は大阪駅に行けば飽きるほど見られましたので、関西にはない塗装が!ということの方が印象深かったのを覚えています(汗)


続いては「京葉線」地下ホームへ。
こちらにも、見慣れた「103系」が次々と発着していました。わたしにすると、大阪でまさに通学で毎日、環状線などで乗っていたもの。


首都圏の方でも、まだまだ大多数が幅を効かせていた頃でしたが、なぜかこの車系だけは飽きることはなかったです。

車両ごとに特徴があって、内装が一両ごとに違うとか、扉の閉まり方が早い遅い、クセがあるとか。爆音を立てるモーターも微妙な音の違いがあって、わたしは大好きでした。ボロいのはボロいのですが(失礼)


京葉線ホームからは、房総半島へ向かう在来線特急も多数発着していました。
こちらは「さざなみ号」。「内房線」を経由し、木更津や館山に向かうもの。涼しげなイラストのヘッドマークだ、とは知っていました(汗)

「183系」という、やはり旧国鉄からの車両でしたが、高校生になったばかりの身としては、在来線特急でさえおいそれと乗れるものではありませんでした。時代ですね。


旅した前年にデビューしたばかりだったのが、この「255系」という特急車両。これを見たかったのでした。先ほどの「183系」をこの後にすべて置き換えて、東京発の房総特急の看板車両となります。ロゴがかっこいい。

しかし、今春のダイヤ改正で定期運用からは外れ、臨時列車専任になったのだとのこと。30年という時の流れは、本当に早いものです(汗)


さて当時、未乗線区ばかりだった首都圏のJR路線。日のあるうちは「青春18きっぷ」でひたすらそれらに乗りまくり、暗くなってからターミナル駅で駅撮り、ということをしていたようです。ここからは東京駅、地上ホームでの様子。

おっ、「踊り子号」と思ったのですが、夜に東京から伊豆にはもう列車はありませんでした。


「湘南ライナー」でした。

特急車両を使用したいわゆる「ホームライナー」で、整理券を別途購入すれば、着席保証されるもの。3723Mと列車番号が写っているので、これは「湘南ライナー3号(東京19:30発→小田原20:41着)」だとわかりました。



これは関西でも幾つかありましたが、驚いたのは比較にならないその種類と本数。
さすがに利用者が多いのだなということと、着席保証のニーズというものが首都圏では高いのだなと、驚いたことを覚えています。出典①。

次回に続きます。
今日はこんなところです。

(出典①「JTB時刻表 1994年3月号」日本交通公社発行)