みなさんこんにちは。前回からの続きです。

今年3月、期間限定で発売されたJR東日本全線乗り放題の企画乗車券「キュンパス」で、その北東北の未乗線区を乗り鉄しようと旅した際の様子をお送りしています。



旅の第1日目(2024年3月11日)。

空路で仙台入りしたこの旅、青森に向かう途中に下車したのは、岩手・盛岡でした。



三大麺で有名な盛岡ですが、そのうち盛岡冷麺が人気を博す、駅前のこちら「ぴょんぴょん舎」さんの順番待ちをしているところです。


この次に乗る「はやぶさ23号」までは余裕があるので、順番待ちの間に駅前を散策してみようと思います。ひとまず、駅から続く地下道へ。


お、これはありがたいですね。
駅から徒歩10分圏内のお散歩マップなるもの。


その中に見つけたのは「開運橋」。
盛岡のシンボルとしても知られているもの。


以前に訪問した時も、散策がてら架橋したことがあるのですが、橋好きなわたしとしては、じっくり観察出来るいい機会。早速向かいます。


盛岡駅には、基幹となる「東北新幹線」「東北本線」を軸に、秋田方面に分岐する「秋田新幹線(田沢湖線)」、太平洋岸に向かう「山田線」、そして「東北本線」から第三セクター化された「いわて銀河鉄道(IGR)」が発着しています。

ひとめで、交通の要衝だとわかります。グーグル地図より。


その盛岡駅と「北上川」で隔てられた市内中心部とを結ぶという、重要な役目を果たしている橋です。グーグル地図より。


では、さっそく向かうことにします。
先ほどの駅前地下道を出て、ただいま順番待ちしている「ぴょんぴょん舎」さんのお店の真ん前を通過。ものの2、3分で見えて来ました。


橋につながる歩道橋から。さらに、上り下りともクルマやバスの引きも切らず。
全長82.2mというので、結構大きな橋です。



上空から。きれいな形状です。


それでは、架橋してみましょう。
ゴツゴツしたリベットがたまりませんが、構造はトラス橋。鉄骨を三角形になるように組み立てた、この類ではオーソドックスなものです。



三角形の配列が美しく感じられます。

車道と歩道を横軸で鉄骨が隔てているのは珍しい。アーチ形に形取られた内側の補強を目的にしたもので、下部ランガーと呼びます。




建造されたのは1952(昭和27)年。三代目だといいますが、補強を施されながら70年以上も盛岡のシンボルとして活躍を続けています。



西側へ渡り終えたところに、橋の解説を発見。


初代。架橋は1890(明治23)年だったとのことですが、江戸時代にはなかったのですね。さらに、当時には興味深いエピソードがあったようです。


出典は、わたしの旅ではおなじみのシリーズ本「各駅停車全国歴史散歩4 岩手県(岩手日報社編・河出書房新社発行 昭和56年1月)」より。


開運橋の起こり
盛岡駅は初めいまの仙北町駅付近に設置する計画だったが、地元の反対で現在地に決まった。


それにしても、駅の目の前の北上川が市街への最短距離をさえぎって盛岡の表玄関の体裁をなさないので、時の県知事・石井省一郎(1842-1930。幕末の小倉藩士。後に内務官僚に転じた。岩手県知事を1884-1891年に務める)は、消防の親方らに命じて私橋を造らせ、開運橋と名付けて通行一回1銭の橋銭を徴収した。


開運橋のその名は、城下盛岡発展の"命運をかけた橋"の意気込みの象徴として考えられたものだという。この橋は、翌年には市に買収され、橋銭も廃止になった。(後略 P18)

なるほど、当時は有料の橋だったとは。
現在では一般的な社会インフラにお金を払うとはなかなか想像がつきませんが、架橋したのも消防の親方衆というのもすごい話しです。


二代目。大正に入ってから建造されたとありますが、こちらも趣きがありますね。




形や、橋の名称を記した銘板を高々と掲げているのも昨秋、これも乗り鉄で訪問した石川・金沢の「犀川大橋(さいがわおおはし)」に似ています。2024年4月28日アップ分より。


そして、現在の三代目。
天気が良ければ岩手山を一望出来る、というのですが。曇天の今日は残念でした。


ところで、気になる解説を隣に見つけました。この「開運橋」が渡る「北上川」について。


北上川は、盛岡からさらに北の岩手町付近(新幹線では「いわて沼宮内駅」が所在)を源流にする重要な河川ですが、昭和の半ば過ぎまでは鉱山から流れ出す強い酸性水で汚染が著しかったとのこと。


現在とは隔世の感ですが、地道な環境保全活動のおかげで、美しい岩手山に映える川面が復活したのだとありました。

「松尾鉱山」という、良質な硫黄や硫化鉱物が大量に産出される鉱山の操業がなされたためですが、そのあたりの兼ね合いというのも考えさせられるエピソードです。


ところで、この橋は「二度泣き橋」とも呼ばれています。首都圏から転勤した会社員が、こんな遠いところにやって来たのか、と泣くものの、呼び戻される時には離別を惜しんで泣く、というエピソードから来ているのだそうです。

なるほど、あまりにも住心地が良いということなのでしょうね。


そういえば昨年、あの「ニューヨークタイムズ」で「世界で行くべき52箇所」というものにも盛岡は選ばれていた、というニュースを思い出しました。確かに、ターミナル駅を出てすぐにこのような、心穏やかになる風景がありますし。



このような、情緒のある歴史的な建造物が日常にあるということもあるのでしょうか。しかし、名誉なことに違いはありません。


次回に続きます。

今日はこんなところです。