みなさんこんにちは。前回からの続きです。

3月16日の「北陸新幹線 敦賀〜金沢間開業」と入れ替わり、長年親しまれた在来線特急が姿を消した、敦賀から先の「北陸本線」。


全国的にも稀少な「特急街道」を最後に味わいたいと、大阪発「特急サンダーバード」に乗り、昨年11月に石川・金沢周辺をさまざま日帰り乗り鉄した際の道中記をお送りしています。




さて、閑静な佇まいの「にし茶屋街」を後に、国道157号線を金沢駅方向に北上。野町広小路という交差点を過ぎたところにあったのは、この立派な設えの橋でした。


「犀川大橋(さいがわおおはし)」。古都、金沢を代表する名物のひとつです。


ところで今回、度々登場して来た、全国47都道府県の各地を鉄道駅を中心に詳細に解説しているシリーズ書籍「各駅停車全国歴史散歩 石川県(北國新聞社編・河出書房新社刊 1983年)」


旅を終えて帰宅してから再び読み直していたのですが、巻頭に大写しになっていたのは、いまから40年以上前、発刊当時の市内中心部を捉えた航空写真。


これですね。モノクロなので色彩はわかりませんが、上空から見ても立派な橋です。


それでは、渡橋してみましょう。


大正~平成期(大正13年~平成5年)
1924~1993年 

現在見られるワーレントラス式の鉄橋は、鋼材を組み合わせた造形が「男川」と呼ばれる犀川にふさわしく、男性的な力強さを感じさせます。




設計は日本橋梁技術の先駆者である関場茂樹(せきば・しげき、1876-1942。日本の橋梁設計者)が手掛け、大正13(1924)年に完成。
英国製の鋼材も使用されました。80年近く経った今日も約3万5千台/日もの交通量に耐えています。


近代日本の歴史の中で、特に先進的な技術を用いて建設されたり、また象徴的な存在となっている高い価値がある建築物に対して認定がされる、国の登録有形文化財にこの犀川大橋が登録されたのは、2000(平成12)年12月のこと。



都合、今年で竣工から実に100周年だという大変歴史のあるものですが、個人的には特に、梁を支える鉄骨の組み方が実に緻密で、なおかつ美を感じさせられるものです。


橋梁両端の外板を支える梁の部分。
トラス橋とは、三角形にした鉄材を組み合わせることによってはじめて連続した構造物になるものですが、これが見事な三角の組み合わせ。


それでいて、柱になる鉄骨もあまりゴツゴツした感じがしません。大正末期につくられたという類にしては、実に繊細で美しいつくりです。


しかし、近づいてみますと色彩も美しいもの。


平成6年(1994)の改修工事で、日本の伝統色である青色を加賀友禅に見られるグラデーションの配色法で施しました。以上、出典①。



大阪から始発の「サンダーバード」でやって来た金沢近郊の旅も、いよいよ帰阪の時が迫ったのかとしばし夕暮れの中で、感慨に耽れたひととき。


きらびやかな佇まいを間近で観察するにつけ、訪問することが出来て良かったと思える、この犀川大橋でした。


ちなみに、関場が設計に携わった橋梁で他にも有名なのは「奈良電気鉄道(現在の近鉄京都線)澱川(よどがわ)橋梁」。川幅の広い京都・宇治川を、一本の橋脚も用いずに架橋したという、建築界では有名な橋梁です。出典②。



まったく奇遇ですが、昨年お送りした「近鉄全線2日間フリーきっぷ」シリーズでも取り上げました↑2023年11月22日アップ。

このようなシリーズをやっていると、思わぬところで繋がりが見つかるのが興味深いです。



さて、くだんの犀川大橋をわたるとそこは繁華街・片町。北陸随一のにぎやかなところです。

さまざまな商業施設が立ち並び、若者が闊歩するありさまは、まさに大都会のそれ。今日は郊外の乗り鉄ばかりでしたので、さながら別世界にやって来たようです。



片町交差点。もうひとつふたつ先の筋あたりは香林坊で、その先は武蔵ヶ辻や近江町市場と、ここはまさに金沢の中心部。


21世紀博物館や、兼六園もすばらしいところですし、おいしいものも味わいたいですし。

今度は、家族でゆっくり訪問したいものです。


次回に続きます。
今日はこんなところです。

(出典①「犀川大橋アーカイブ」国土交通省北陸地方整備局金沢河川国道事務所ホームページ)
(出典②「フリー百科事典Wikipedia#澱川橋梁」)