みなさんこんにちは。前回からの続きです。

1970(昭和45)年開催の「大阪万博」で活躍した、万博を巡る千里の鉄道を中心にした交通機関についての企画展「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」訪問記をお送りしています。




企画展会場の「千里ニュータウン情報館(大阪府吹田市)」に戻って来ました。例によって話しがあちこちに飛びましたが、引き続き、こちらの展示を拝見して行くことにいたします。


ところでこちらは、もともとは国内初の本格的なニュータウン「千里ニュータウン」にまつわる、全般的な展示や計画時点からの資料などが多数収蔵されている施設です。


そんな中、このようなものを見つけました。これは一体、見たこともありません。



「バスオール」というもの。「ほくさん」とはこれを製造していたメーカーの名前でした。




「千里ニュータウン」最初の区画(主に府営団地)に入居がはじまったのは、1962(昭和37)年9月のこと。以来、開発の進捗とともに次々と街は広がって行きました。


ただ団地には内風呂を設ける十分な余地がない
ことが、当初から問題になっていたようです。 



そこで普及したのが、いわゆる「簡易浴室」のこの「バスオール」だったそう。ベランダや台所付近に設ける例が多かったとのこと。


なるほど、このお宅ではトイレ近くの板張りのところに。いずれにしても、水回りのところが都合良かったのでしょうね。


これは、なかなかインパクトある絵です。

現在、いや、わたしが小さい頃(昭和50年代後半)でさえ、内風呂があるのは当たり前だと思っていましたので。自宅に風呂があるというのは、実はぜいたくなことだったのですね。



ちなみに価格は、本体・給湯器セットで58,500円、給湯器なしでは46,000円。



発売開始は1963(昭和38)年とのことですが、この時代では、果たしてどれくらいの価値があったのでしょうか。気になります。


ハイライト20本入り 70円 

喫茶店のコーヒー 70円

そば・うどん 50円

大卒初任給 20,000〜23,000円


というので、大体給料の約3ヶ月分。50〜60万円くらいでしょうか。高級品です!出典①。



こちらに展示されているものは、ニュータウンでお住まいの方が実際に自宅で使用されていたものだそう。

さらに入ってもいいですよと係の方から。


貴重な機会です。観察してみます。
水を使うということと、浴槽になっているために床からは段差を上がる。


内部。上に行くほどすぼまっているような外観なのですが、意外にも頭がつくことはありません(身長170cm)。



しかし、腰を降ろすとやはり少々狭いです。
女性ならば多少は見方は違うかも知れません。


浴槽と外壁の間にはわざと隙間がつくられています。溢れる水を逃がすためですが、バスオールの床面がゆがんでいたりすると、やはり水漏れが多発したのだそうです。


狭いながらも、シャワーやカラン、タオル掛けもあり、工夫されているなと感じます。

ビジネスホテルなどでよくある、浴槽の中で洗身・洗髪をせねばならないものを想起するのですが、日本人ならではといいましょうか、しっかりお湯に浸かる動作が必須でしたから、入るのにもひと工夫必要だったのでしょうね。


解説を読んでいますと、そうか、ユニットバスの仲間になるのですね。

「東京オリンピック(昭和39年)」や本題の「大阪万博」の時代、一気に普及したものです。なるほど、時代背景はぴたり一致します。


いや、これはよく考えられています。
団地にも内風呂が設置されるようになった昭和50年代まで、千里のニュータウンではメジャーだったそう。

貴重な生活、文化遺産。このようなものは大好きです。ニュータウンでの生活を、少しばかり垣間見られたようでした。



さて、長々とお送りして来たこのシリーズ。

それそろ、まとめに入りたいと思います。


次回に続きます。

今日はこんなところです。


(出典①「明治〜令和 値段史」ホームページ)

https://coin-walk.site/J077.htm