1970(昭和45)年開催の「大阪万博」で活躍した、万博を巡る千里の鉄道を中心にした交通機関についての企画展「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」訪問記をお送りしています。
ここでは、当時の国鉄をはじめとした観客輸送のために整備された交通事情について、手元の「国鉄監修 交通公社の時刻表 1970年8月号」から引き続き、拾ってみることにいたします。
先の大阪万博開催の6年前、1964(昭和39)年10月に開業した世界初の高速鉄道「新幹線」。
それまで在来線特急「こだま」で7時間弱も要していた東京・大阪間を最短4時間(翌年からは3時間10分)で結んだことは、日本の鉄道史に残る出来事のひとつでした。出典①。
本題の大阪万博でも、遠方から多数の観客が新幹線を利用することが予想されていました。
そこで打ち出されたのが「ひかり号の16両編成化」。開業以来、12両が最大だったものを、現在に至る16両に増結したのは、万博輸送がきっかけでした。「EXPO70パビリオン」にて。
しかし当時は、新幹線のみならず航空機の利用も一般的ではなかった時代。はじめて新幹線に乗車したのが、万博を訪れるためという人々も多かったようです。
庶民にとって「高嶺の花」とも言えた新幹線ですが、その16両増結の他にも、臨時列車が多数設定されるなど、大量輸送への準備は整えられていました。
8月号時刻表から。
先ほど触れたように、この頃は東京・新大阪間の「東海道新幹線」のみ運行されていました。
新大阪から先、岡山まで「山陽新幹線」が延伸されるのは、閉幕2年後の1972(昭和47)年3月のこと。
ではここからは、東京方面から新幹線を利用して万博見物に旅しよう!という視点から、さらに、掘り下げて見てみます。
下り(名古屋・新大阪方面)のものから。
始発の「ひかり1号 新大阪ゆき」は、東京6時ちょうど発。名古屋(8:00着)、京都(8:50発)と停車し、終着駅の新大阪には9:10到着。
新大阪から「地下鉄御堂筋線」に乗り換えて、「北大阪急行」に直通し17分で「万国博中央口駅(大阪府吹田市)」到着。順調に行けば9時半過ぎには万博会場に辿り着けます。出典②。
オープン直後ですし、これなら一日遊べます。
帰路に当たる上り最終列車を確かめてみます。
本来の最終便「ひかり88号 東京ゆき(新大阪20:30発→東京23:40着)」の後に、やはり臨時列車の「ひかり326号 東京ゆき」が。
しかしこれが「新大阪21:10発→東京0:20着」。なんと、日付けをまたいでの到着。
さらにひょっとするとそれより遅く、会場が閉門する22時半まで観覧していた人も居たかも知れません。そうなると大阪で一泊し、朝いちで帰京しようとする人も居たはず。
時刻表をあらためて確認してみます。
先ほどの下り「ひかり1号 新大阪ゆき」と対になるのは、新大阪6時ちょうど発「ひかり2号 東京ゆき」のはず。
しかしその始発便の前に「ひかり332号 東京ゆき」という臨時列車が設定されています。これの新大阪発車は、なんと5:40!
実は、新幹線には「午前0時〜6時」の間には、営業列車を走らせないという開業以来の決まりがあります。
夜間に保守点検作業をすることが理由ですが、最近の時刻表(2022年3月改正)を見てもそれはしっかり守られています。以下、出典③。
下り、東京・品川発と設定されている「のぞみ号」、新横浜発「ひかり号」は、いずれも6時ちょうど発(昨春から「のぞみ号」に格上げ)。
静岡発の始発「こだま763号」も、6:07発。
同じく、下り最終便付近。
岡山には「のぞみ113号」が23:50着、姫路には一本後の「のぞみ115号」が23:53着。
新大阪には「のぞみ265号」が23:45着、名古屋には「ひかり669号」が23:49着。浜松・静岡・三島ゆきの「こだま号」も含め、0時前にはすべての列車が終着駅に到着していることがわかります。
いわゆる深夜帯に列車を走らせない理由は、先ほど触れた保守点検作業のためもあるのですが列車の騒音が発生する沿線への配慮、ということも大のようです。
そういったことで、これらの列車は開業以来の大原則を例外にさえしてしまったということ。それも短期間ではなく、会期中の数ヶ月にわたっての運行となると、新幹線の歴史の中でもまさに異例中の異例の出来事、といえましょう。
それだけ、大阪万博というものが、国を挙げての大規模な国際的なイベントだったことがこのあたりからも窺い知れます。すごいことです。
さらに、このような列車も見つけました。
三島7:05発→東京8:10着の「エキスポこだま492号」なるもの。これも臨時列車でした。
三島駅で新幹線「エキスポこだま号」に接続することで、横浜・東京方面への到達時間短縮を図る目的があったようです。
朝に東京方面に到着出来るこの在来線+新幹線「エキスポこだま」の臨時列車は大変好評で、繁忙期には増結もなされるほどだったそう。
在来線夜行列車、新幹線ともに、まさに大車輪の輸送体制だったのでしょうね。
先ほども触れましたが、新幹線が開業しても、長距離の移動には鉄道が一択だった時代。
時刻表を眺めていても、いまからでは想像出来ないほど多数の特急・急行列車がきら星のごとく走っていたことがわかります。
当時の時代背景もさることながら、総入場者6400万人を超えたという大阪万博というイベントたるや、このような視点からも大変なものだったのだとあらためて感じる次第です。
次回に続きます。
今日はこんなところです。
(出典①「カラーブックス593 新幹線」関長臣著・保育社刊 昭和58年1月発行)
(出典②「北大阪急行電鉄」X 旧twitter)
(出典③「JTB時刻表 2022年3月号」)