今回の企画展展示の主題、千里丘陵で開催された先の「大阪万博」会場に直結していた「北大阪急行電鉄(北急)〜地下鉄(現在のOsakaMetro)御堂筋線」ルートについて、会場の南千里をいったん離れて項を進めています。
会期中に約2000万人以上を運んだという、このメインルート。企画展での写真展示とともに、新大阪駅から実際にこの万博会場へのルートを辿り、引き続きあれこれと掘り下げてみようと思います。
万博会場はもう目の前に迫った、北急と「阪急千里線」とが交差していたのは、現在は「山田駅(大阪府吹田市)」が設けられている地点。出典①。
前回記事で取り上げたこのショット。果たして現在の様子はどのようになっているのか、ということを探りに、またも寄り道です。出典②。
では、企画展会場が目の前の「南千里駅(大阪府吹田市)」を出発。現地に向かいます。
「山田駅(同)」は北にわずかひと駅。ニュータウンの南端から、中央付近に移動することになります。地図では、やはりびっしりと民家や団地が建て込んでいるように見えるのですが…
直線区間に入ると、早くも「山田駅」に到着。正面のモノレール高架と、その向こうのガスタンクが目印の駅です。

さて、前回記事でも触れましたが、ここで東西方向に直交しているのは「大阪モノレール」。
連日、取り上げています「北急会場線」と、千里中央から万博記念公園まではそのルートを辿るようにモノレールは延びており、数分の徒歩連絡で乗り換えが出来るようになっています。
ここで「弘済院東(こうさいいんひがし)」という交差点に出ました。
モノレールが千里中央からやって来るところでしたが、その高架橋の向こうはくだんの「中国自動車道」と「府道大阪中央環状線」が掘割様に走っているところ。
このように辿って来ました。北が左。

まさにここでした!
「中国道」上り線を借用していた北急。
現在では、そもそもの計画であったように、自動車がひっきりなしに通過して行きます。
かつては、万博会場の西端が眺められた場所。
現在は「万博記念公園」ですが、半世紀以上の長い時間経過の現れというのでしょうか。木々の繁り方が目に留まります。
しかし、モノレールの高架橋はあれど、想像以上にあまり変わっていないようにも感じます。
わくわく、驚きの定点観測でした。

ところで、このような便利な場所に位置する山田に万博当時には阪急の駅がなかったのはなぜに、ということも先日触れたところですが、これについてはひとまず、この足で万博記念公園に辿り着いて後に、取り上げることにいたします。出典③。
さて、「太陽の塔」が待ち構える「万国博会場」もとい「万博記念公園」までは、もう少し。
次回に続きます。
今日はこんなところです。
(出典①「千里ニュータウンマップ2018」千里ニュータウン再生連絡協議会発行 2018年3月)
(出典② 朝日大阪朝刊 2023年9月10日付け19面 大阪東部・河内面)
(出典③「鉄道模型フェスティバル2023」阪急うめだ本店 パネル展示)