企画展「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」千里ニュータウンを訪れる〜その23 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。1970(昭和45)年開催の「大阪万博」で活躍した、万博を巡る千里の鉄道を中心にした交通機関についての企画展「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」訪問記をお送りしています。



今回の企画展展示の主題、千里丘陵で開催された先の「大阪万博」会場に直結していた「北大阪急行電鉄(北急)〜地下鉄(現在のOsakaMetro)御堂筋線」ルートについて、会場の南千里をいったん離れて項を進めています。


会期中に約2000万人以上を運んだという、このメインルート。企画展での写真展示とともに、新大阪駅から実際にこの万博会場へのルートを辿り、引き続きあれこれと掘り下げてみようと思います。グーグル地図より。



新大阪から15分弱。「江坂駅(大阪府吹田市)」から北急に乗り入れた列車は、通勤ラッシュただ中の「千里中央駅(同豊中市)」に到着しました。



先日の記事でも触れましたが、新大阪の手前、御堂筋線が地上に出た中津(大阪市北区)辺りから、それと一体化され両脇に走る「新御堂筋(国道423号線)」から右手(東側)に逸れたところにある地下駅です。


1990(平成2)年には、駅の南側で東西に直交する「大阪モノレール」の駅も設置されます。

後に、大阪外郭部を半周することになるモノレールの、最初に開業した区間の始発駅でした。万博記念公園(大阪府吹田市)にて。


天井が高く、クロスにあしらわれた蛍光灯が印象に残るデザインです。
千中というと、イメージするのはまさにこれ。


さて、この駅自体の開業は万博開催の約1ヶ月前(1970年2月24日)のこと。ただその当時、千里中央の駅はここではなかったと言います。



開業当時の駅は、いまとはまったく異なる場所の地上駅。さらにトンネルの開口部に設けられた、なんと「仮駅」でした。企画展展示より。


いまでは北摂地域の一大ジャンクションとなっているこの駅ですが、これは北急が、万国博輸送を目的にして開業したことに大きく由来するゆえのことからでした。これについては、追ってということで。項の都合でじらします(汗)


お、これがいまの駅ですね。先ほどの地上駅ではなく、現在の地下駅が開業した時の出発式典の様子。1970(昭和45)年9月14日、大阪万博が閉幕した翌日のことでした。出典①。


ところで、個人的にいつか取り上げたいと思っていた興味深い光景がこの駅にはあります。ようやく、その機会が訪れました\(^o^)/


3箇所ある改札のうち、いちばん北側の改札に向かうエスカレーターに乗ります。



列車の上部に、あれ、また屋根がある。



真上には、モーニングサービスしている喫茶店があるという。そこから北側の改札口は数メール先ですから、これなら乗るぎりぎりまでゆっくりコーヒーを味わえますね。余談でした。




それはさておき、終着駅のこの駅の先は行き止まりではなく、左カーブを描いてさらに線路が続いています。真新しいコンクリートです。


いよいよ来春、3月23日にここから北の「箕面萱野駅(同箕面市)」まで2駅、北急が延伸することが決まっています。江坂から先の各駅ではこのような広告をあちこちで見かけました。



訪れている、南千里の企画展会場でもありました。実は、万博輸送を目的に北急が開業した頃からあったという延伸計画なのだそうです。


それでは、北急にとっては半世紀以上に渡る悲願だったという、この路線延伸についてさらに掘り下げてみることにいたします。

次回に続きます。
今日はこんなところです。

(出典①「北大阪急行電鉄」ホームページ)