みなさんこんにちは。前回からの続きです。1970(昭和45)年開催の「大阪万博」で活躍した、万博を巡る千里の鉄道を中心にした交通機関についての企画展「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」訪問記をお送りしています。
ただいま、朝ラッシュ時ただ中の「OsakaMetro御堂筋線 新大阪駅(大阪市淀川区)」です。
先般から、企画展展示の主題でもある先の「大阪万博」会場に直結していた「北大阪急行電鉄(北急)〜地下鉄(現在のOsakaMetro)御堂筋線」ルートについて、項を進めています。
会期中に約2000万人以上を運んだというメインルートでしたが、ここからは企画展展示のショットとともに、新大阪駅から実際にこの万博会場へのルートを辿り、引き続きあれこれと掘り下げてみようと思います。グーグル地図より。
それではここからは、運良く?かぶりつき出来た前面展望を、動画を交えて千里中央に向かいます。
千里と大阪市内、梅田新道を結ぶ「新御堂筋」上下線にはさまれた御堂筋線ですが、このあたり高架線ですので、眺めが良いのに加えて「第三軌条方式」という集電方式の路線。広々とした朝の空が印象に残ります。
さて、新大阪から早くも3分ほど、2駅目の「江坂駅(大阪府吹田市)」が近づいて来たのですが、なかなか、親切丁寧な放送です。
自動放送が当たり前になった昨今ですが、このような気遣いの放送がなされると、ありがたいというかほっとします。
そして「江坂駅」に到着。見たところ島式2線の、何の変哲もないホームです。
ここで大半が下車し、がらがらになりました。ただ、大阪市内に向かう反対のホームには、乗客を満載した列車が次々とやって来ます。

実はこの「江坂駅」が「OsakaMetro御堂筋線」と「北大阪急行電鉄南北線」との境界駅に当たります。北大阪急行電鉄ホームページより。
「OsakaMetro」はかつて「大阪市交通局」だったので、大阪市内の地下鉄交通網を整備するのが目的。
市境を越えた吹田市に入ったこの駅までは自前の路線としたものの、そういった理由で、これ以北(大阪市外)では、阪急が親会社の北急が経営する路線になっています。
江坂から先には現在3駅あり、それぞれ吹田・豊中市が所在地になっています。
もっと言えば北急が建設されたのは今回の本題「万博会場への観客輸送」が目的でしたから、会場が市外の吹田にあるため、大阪市による路線建設が難しかったゆえです。

北急のホームページをあれこれ眺めていますと
開業直前の試運転でしょうか。「7000系」という車両が、江坂駅に停車する姿。
この駅をはさんで「万国博中央口〜江坂〜新大阪間」が開業したのは開幕の約1ヶ月前、1970(昭和45)年2月24日のことでした。
乗務員が交替し、ほどなく発車。
北急線に入ったとはいえ、相互乗り入れですので乗り換えはもちろんなし。
さらに、車内放送もOsakaMetroと同じ方(秀平真由美さん)ですので、普通に乗る分には違いはわかりません。この方のお声、大好きです💞「株式会社オンタイム」ホームページより。
「名神高速道路」をまたぐ。
掘割の「緑地公園駅(同豊中市)」に到着。
北急が開業した万博当時にはなく、閉幕後に周辺の宅地開発が進捗するのに合わせ、5年後の1975(昭和50)年3月に開業したものとのこと。これは知りませんでした。
「緑地公園駅」を発車。両側の新御堂筋の混雑を尻目にすいすい進むのは、いつも気持ちが良いもの。徐々に北摂の山々が迫って来ます。
来春に迫った、北急の「千里中央〜箕面萱野間(大阪府箕面市)」延伸開業を記念した、箕面市にまつわるラッピングを施したものだそう。
「箕面の柚子」だそうですが、名物だとは知りませんでした。いろいろ勉強になります。
桃山台は、いま企画展を訪れている南千里と対になる場所です。整然とした街並みをはさみ、1〜2kmほど離れているでしょうか。北急、阪急千里線ともにニュータウンの重要な足です。
次回に続きます。
今日はこんなところです。