企画展「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」千里ニュータウンを訪れる〜その7 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

1970(昭和45)年開催の「大阪万博」で活躍した、万博を巡る千里の鉄道を中心にした交通機関についての企画展「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」訪問記をお送りしています。




阪急淡路駅(大阪市東淀川区)までやって来ました。企画展会場の最寄り、南千里駅(大阪府吹田市)まではいま少しですが、例によって?あれこれと観察しながら、寄り道の道中です。


連続立体交差化事業、つまり高架化工事が行われているこの駅をはさむ区間。その関係で仮設になっている東口の駅舎に、ようやく?入ります。


淡路は、神戸・宝塚線と接続する十三(じゅうそう、大阪市淀川区)からは3駅。大ターミナル・大阪梅田(同北区)もほどないところ。


この駅自体も、通勤特急以外の種別がすべて停車する、基幹駅です。目指す南千里へは、北へ千里線で6駅。




改札を入ります。
仮設とは言えど、やはり立派な設えです。


この駅には、京都線・千里線が乗り入れていると先日の記事から触れていますが、それゆえに行先案内の複雑さも興味深いもの。

阪急電車は、プラットフォームを「◯号線」と呼称することでも知られていますが、あれ、1号線がない。2〜5号線と振られています。



構内図を確認しても、やはりありません。
いろいろ調べてみますと、もともとはやはりあったそうです。


ここで触れておきたいのですが、現在の阪急京都線系統(京都・千里・嵐山線)の大半を建設したのは「京阪電車」系列の「新京阪鉄道」という会社でした(後に「京阪電車新京阪線」となる)



大阪方のターミナル駅は「天神橋駅」、現在の「天神橋筋六丁目駅(天六、同)」。

「大阪天神橋・京阪京都(現在の阪急大宮)間」を34分という超高速で結んだ「デイ100形(P6)」という、この車両が知られています。以下、出典①。


戦時中の1943(昭和18)年に阪急と京阪は当時の政府の方針で合併を余儀なくされ、「京阪神急行電鉄」となりました。


戦後の1949(昭和24)年に分離する際、さまざまな経緯があり、京都線系統すべては阪急に割譲されたのですが、主要列車の発着はターミナルだった「天神橋駅」。

現在、本線の「淡路〜十三間」が当時は支線で折り返し運行をする形態だったので、「1号線」はそれ専用に使用されていたのだとのこと。当時、新京阪で活躍していた車両群。


本題から外れましたが、地下道になっている通路を進みます。少し古びたと言いましょうか、昔ながらの雰囲気がたまりません。

前回記事で取り上げたガードはこの右側、壁面を隔てたところです。


そうそう、阪急というと「ちいかわ」の電車が走っています。ちびっ子次女も大好きですが、あちこちでコラボしているのはすごいもの。大人気さが窺えます。




西口から入ると、4・5号線(大阪梅田・天六・OsakaMetro堺筋線方面)への階段。


そして、2・3号線(京都・北千里方面)への階段へと続きます。その奥には、さらに階段が。


その先には、にぎやかな商店街に続く西口に続いています。わかりやすい構造です。


ようやく、ホームに上がって来ました。

四方向に駅名が表記されているというのが趣味的には大変興味深いものですが、高架化を複雑にしているのはまさにこの、2路線の平面交差なのでした。


ホームは、両方向ともにいつもいっぱい。
双方向への乗り換え駅であることがよくわかります。

次回に続きます。
今日はこんなところです。

(出典①「鉄道模型フェスティバル2023」阪急うめだ本店 パネル展示より)