「近鉄全線2日間フリーきっぷ」で巡る近鉄沿線道中記2023〜その23 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

今年6月に限定で発売された「近鉄全線2日間フリーきっぷ」で巡った、近鉄沿線乗り鉄道中記をお送りしています。


「ナローゲージ」という、いまや国内に3社・4路線しか存在しない貴重な、軌道幅が762mmの車両も小規模な規格の鉄道。




そのうちの2路線「内部線(うつべせん)」「八王子線」を有する「四日市あすなろう鉄道」を乗り鉄しているところ。出典①。

最後に途中下車したのは「日永駅」。
我が国唯一の、ナローゲージ鉄道分岐駅です。



そのような特色あるこの「日永駅」ですが、駅構内には「あすなろう鉄道」最大の特徴であるナローゲージがどのようなものなのかがひと目でわかるものがありました。

それを拝見して行こうかと思います。


ここにあったのは、3つ並んだ幅の異なるレールと、それが乗っかる車輪や台車。


国内で大多数を占める軌道幅というのは、標準軌(1435mm)と狭軌(1067mm)。そして、いまや希少な特殊狭軌(ナローゲージ、762mm )との差異がわかるという展示なのでした。


角度を変えて。このようにして見ますと、ナローゲージがそれらと比べ、いかに小さい規格なのかということがあらためてわかります。

ナローゲージは標準軌のおよそ半分ほど。さながら「大人と子ども」を思わせるものです。



ところで、軌道幅の違いということでふと、印象に残った記録映画があったことを思い出しました。本題からは少し外れますが、そちらについて今日は、触れて参りたいと思います。


「近鉄名古屋線標準軌化工事記録」という記録映画。ユーチューブにありました。

1959(昭和34)年11月に行われた、当時は狭軌だった「名古屋線」を標準軌に拡張する工事を記録したものです。



「伊勢中川駅(三重県松阪市)」に到着する「大阪線」特急列車の様子から、映画ははじまります。



伊勢中川は、ちょうどこのあたり。「大阪線」「名古屋線」と、松阪・宇治山田方面への「山田線」とが接続する、昔からの拠点駅です。出典②。


広大な路線網を誇る近鉄ですが、かつてこの駅を境に路線の軌道幅が異なっていることから、直通客は乗り換えを余儀なくされていました。


「大阪線」「山田線」は標準軌(1435mm)。


そして「名古屋線」は狭軌(1067mm)。


列車が到着し、ホームは両端の扉が開くように設けられていて、乗り換えはホーム上を並行移動するのみと工夫がなされていました。大阪線特急の到着を待って発車する、名古屋線特急。

しかし、それがために大阪・奈良・伊勢方面から津・四日市・名古屋方面へは直通運転が出来ず、ボトルネックと化していたと言います。


いまは当たり前に「ひのとり」や「アーバンライナー」で乗り換えのない名阪間ですが、この直通運転を実現させることは、近鉄にとってまさに悲願だったといいます。

1957(昭和32)年から「名古屋線」を、狭軌から標準軌へと改軌する工事がはじまります。


対象になったのは「名古屋線」の「近畿日本名古屋(現在の近鉄名古屋)〜伊勢中川間」と、そこから分岐する支線群。

殊に「名古屋線」は総延長80km弱と距離があったために、その事前準備は入念に行われていたようです。



軌道幅を広げるということは、レール下の枕木も長さのあるものに差し替える必要がありました。あたらしい枕木に、標準軌のレール設置場所がわかるよう、機械で表面を削り取り…


ドリルで、レールを固定する犬釘を打ち込む場所にあらかじめ、穴を開けておく。


そして、標準軌のレールが敷かれる場所に、犬釘を仮打ちする。これが枕木の一本一本ですから、なんとも大変な手間です。


作業の概要を示すと、このようになりましょうか。狭軌から標準軌にあらためる際には、内側の狭軌幅レールを押し、犬釘が仮打ちされた、外側の標準軌の場所まで人力で移動させる。




ちなみに、枕木にレールを固定するための留め具である犬釘は、このようなもの。ヘッドの部分が犬の頭部に似ていることからそう呼ばれます。「フリー百科事典Wikipedia#犬釘」より。


改軌工事がはじまればすぐにレールの差し替えが出来るように、狭軌で営業している区間の一部ででは、その外側に標準軌のレールを敷き終えたものもありました。

これですと、内側の狭軌幅レールを撤去するだけで済むというもの。入念な準備が重ねられ、後は本工事のタイミングを探るというところまで時間は進んだのですが…


その準備のさ中、1959(昭和34)年9月に「伊勢湾台風」が東海地方に上陸します。





まさに、その伊勢湾の西側を走る「名古屋線」が受けたのは、壊滅的な被害。
場所によっては、被災後1ヶ月あまりが経過しても水が引かないところもあったといいます。


しかし、当時の佐伯勇社長が、災害復旧に合わせて念願であった「名古屋線」の標準軌化工事を一気に繰り上げて実施する決断をします。

2年前から事前に工事の準備を進めていたことも、実に大きく功奏したのでした。



伊勢湾台風の襲来から2ヶ月後の、同年11月19日。「伊勢中川〜久居間」を皮切りに「名古屋線」の標準軌化工事ははじまりました。




狭軌幅のレールから犬釘を抜き、あらかじめ犬釘を仮打ちしていた標準軌幅まで、レールを人力で移動させる。そして、標準軌幅でレールを固定する…

連日、作業員千数百人を動員し、作業は昼夜を問わぬ大規模なものだった、と言います。



この標準軌化作業はわずか9日間で完了します。80km弱の本線と、支線のレール幅をあらためるのみならず、台車の総入れ替えや信号システムの更新なども含めての工事。




これだけの規模に及ぶ工事を、これだけ僅かな期間で完了させるとは、大変なことだったに違いありません。というか一般的にはまず、あり得ないほどの短期間のことです。



直後の同年12月1日に、近鉄の念願だった名阪間直通運転が開始。「ビスタカー2世」こと「10100系」という特急車両がデビュー、現在の運行体型に至ることとなりました。




昭和から平成、令和の現在にわたり、実に多数の車両が登場した近鉄特急。

大阪・奈良・京都・伊勢志摩・名古屋という広大な路線網を特急列車が頻繁に、それも自在に直通運行出来るようになったのも、その「名古屋線」標準軌化が大きなターニングポイントだったということなのでした。近鉄名古屋にて。


話しが逸れましたが、この「標準軌」「狭軌」「特殊狭軌(ナローゲージ)」いずれの路線をかつては持っていたのが、私鉄日本一の路線規模を誇る近鉄のみだったというのも、なるほどと思えることです。


現在は「四日市あすなろう鉄道」となっている「内部・八王子線」。



最初に、これに乗り鉄した時は「近鉄内部・八王子線」でした。


どこかのんびりとした、ローカルな佇まいの雰囲気が残されていることに、20数年経過して、ほっとした次第なのでした。1番線の同じ場所から。2000(平成12)年8月、ブログ主撮影。



次回に続きます。

今日はこんなところです。


(出典①「四日市あすなろう鉄道 乗って歩いて再発見マップ」特定非営利活動法人四日市の交通と街づくりを考える会企画・編集 四日市市発行 2023年3月)

(出典②「近鉄ホームページ」)