みなさんこんにちは。前回からの続きです。
今年6月に限定で発売された「近鉄全線2日間フリーきっぷ」で巡った、近鉄沿線乗り鉄道中記をお送りしています。
「ナローゲージ」という、いまや国内に3社・4路線しか存在しない貴重な、軌道幅が762mmの車両も小規模な規格の鉄道。
そのうちの2路線「内部線(うつべせん)」「八王子線」を有する「四日市あすなろう鉄道」を乗り鉄しているところ。出典①。
最後に途中下車したのは「日永駅」。
我が国唯一の、ナローゲージ鉄道分岐駅です。


そのような特色あるこの「日永駅」ですが、駅構内には「あすなろう鉄道」最大の特徴であるナローゲージがどのようなものなのかがひと目でわかるものがありました。
それを拝見して行こうかと思います。

ここにあったのは、3つ並んだ幅の異なるレールと、それが乗っかる車輪や台車。
国内で大多数を占める軌道幅というのは、標準軌(1435mm)と狭軌(1067mm)。そして、いまや希少な特殊狭軌(ナローゲージ、762mm )との差異がわかるという展示なのでした。

角度を変えて。このようにして見ますと、ナローゲージがそれらと比べ、いかに小さい規格なのかということがあらためてわかります。
ナローゲージは標準軌のおよそ半分ほど。さながら「大人と子ども」を思わせるものです。

ところで、軌道幅の違いということでふと、印象に残った記録映画があったことを思い出しました。本題からは少し外れますが、そちらについて今日は、触れて参りたいと思います。



「近鉄名古屋線標準軌化工事記録」という記録映画。ユーチューブにありました。
1959(昭和34)年11月に行われた、当時は狭軌だった「名古屋線」を標準軌に拡張する工事を記録したものです。
そして「名古屋線」は狭軌(1067mm)。
列車が到着し、ホームは両端の扉が開くように設けられていて、乗り換えはホーム上を並行移動するのみと工夫がなされていました。大阪線特急の到着を待って発車する、名古屋線特急。
しかし、それがために大阪・奈良・伊勢方面から津・四日市・名古屋方面へは直通運転が出来ず、ボトルネックと化していたと言います。

いまは当たり前に「ひのとり」や「アーバンライナー」で乗り換えのない名阪間ですが、この直通運転を実現させることは、近鉄にとってまさに悲願だったといいます。
1957(昭和32)年から「名古屋線」を、狭軌から標準軌へと改軌する工事がはじまります。
対象になったのは「名古屋線」の「近畿日本名古屋(現在の近鉄名古屋)〜伊勢中川間」と、そこから分岐する支線群。
殊に「名古屋線」は総延長80km弱と距離があったために、その事前準備は入念に行われていたようです。

改軌工事がはじまればすぐにレールの差し替えが出来るように、狭軌で営業している区間の一部ででは、その外側に標準軌のレールを敷き終えたものもありました。
これですと、内側の狭軌幅レールを撤去するだけで済むというもの。入念な準備が重ねられ、後は本工事のタイミングを探るというところまで時間は進んだのですが…

直後の同年12月1日に、近鉄の念願だった名阪間直通運転が開始。「ビスタカー2世」こと「10100系」という特急車両がデビュー、現在の運行体型に至ることとなりました。
大阪・奈良・京都・伊勢志摩・名古屋という広大な路線網を特急列車が頻繁に、それも自在に直通運行出来るようになったのも、その「名古屋線」標準軌化が大きなターニングポイントだったということなのでした。近鉄名古屋にて。
現在は「四日市あすなろう鉄道」となっている「内部・八王子線」。
最初に、これに乗り鉄した時は「近鉄内部・八王子線」でした。
どこかのんびりとした、ローカルな佇まいの雰囲気が残されていることに、20数年経過して、ほっとした次第なのでした。1番線の同じ場所から。2000(平成12)年8月、ブログ主撮影。
次回に続きます。
今日はこんなところです。
(出典①「四日市あすなろう鉄道 乗って歩いて再発見マップ」特定非営利活動法人四日市の交通と街づくりを考える会企画・編集 四日市市発行 2023年3月)
(出典②「近鉄ホームページ」)